帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)さん。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「一番嫌な記憶」。

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【いじめ】ポイント

(1)小学6年生の時の出来事がいまだに一番嫌な記憶

(2)「帯津とはもう口をきくな」といういじめにあった

(3)いじめには加わらないというS君のおかげで助かった

 子どものときの嫌な思いは、意外にずっと覚えているものです。87歳になるまで、様々に嫌な思いはしたと思うのですが、小学6年生のときの出来事が、いまだに一番嫌な記憶です。

 それは終戦から2年。窮乏を極めた物資もようやく出回り始め、人々の胸に希望の灯火がともり始めたころでした。私の小学校での担任は50歳ぐらいの女性の先生でした。子育てが終わって、教職に復帰したばかりで、先生らしくない人でした。その先生がなぜか、私をひいきにしてくれたのです。母親のようにやさしくしてくれて、私はうれしいというより、気恥ずかしい感じでした。それがクラスのガキ大将には気に入らなかったのでしょう。「帯津とはもう口をきくな」とみんなに触れ回ったのです。いわゆる「いじめ」です。

 初日は私にも何が起きたのかわかりませんでした。2日目に入って、誰も口をきいてくれないので、おかしな気分になりました。3日目に学校に行くのが憂鬱でした。ところが、登校すると、席が近いS君が話しかけてきてくれたのです。

「俺は帯津の味方だからな。今まで通りに口をきくから心配するな」

 と言うのです。私は彼とは話ができると思うと急に気持ちが軽くなりました。S君はなんていい奴なんだろうと、感謝しました。S君もいじめられるのではと、心配になりましたが。

 その後、思った通り、ガキ大将は「Sとも口をきくな」と言い出しました。ところが、私とS君の二人では自由に話ができるので、あまり困らないのです。昔のいじめは、そんなに陰湿ではなかったのでしょうか。そのうち、誰も彼もが、二人に話しかけるようになり、いじめは自然消滅してしまいました。いじめには加わらないという、しっかりした意思を持ったS君のおかげで、私は助かったのです。

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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