笑いとペーソスの介護ノンフィクションだ。
 認知症が進みゆく母親は、役者のように日々別人に化け、周囲をふりまわす。そして、がまんができない。病院に毎日のように見舞いに訪れる〈私〉とは、ちょっとしたことで諍(いさか)い、「正一なんか帰れ! 帰れ! 健二はどうしているんだ」と弟を乞(こ)う。
 ある日のこと。同室の隣のベッドに医者や看護師たちが駆けつけ、臨終を告げる声。泣き崩れる声とともに、人の出入りであわただしくなったそのとき、「正一、うんちがしたいんだよ」と母。こういうときだから「辛抱して」と拝む気持ちの著者に、「正一はどうして忍者みたいな顔をしているの。正一と私は親子でしょ。こんなときに忍者にならなくてもいいでしょ。うんち、うんち」と喚(わめ)きだし……。
 うろたえる〈私〉が自分ならばと想像し、冷や汗を感じるとともに、ままならぬドタバタこそが介護の現実なのだと得心させられる。
 母だけでない。昔の同級生から認知症になったと打ち明けられる話など、明日の見えない展開はエンターテインメントとしてもエッジがたっている。

週刊朝日 2015年1月23日号