日高麻子。集英社インターナショナルの社長室で。
日高麻子。集英社インターナショナルの社長室で。

 後に集英社の女性誌をすべて統括する常務にまでのぼりつめ、現在は集英社インターナショナルの社長を務める日高が語る。

「女性にとって制約があったあの時代に、だからこそ、自立した女性にならなくてはならない、と生き方を示した『MORE』で働けたことは本当に嬉しかった」

 広告主も高級感をもった誌面に出稿をしたがり、2004年には、号あたり4億4000万円という空前の広告費を叩き出すようにもなった。

 が、そのあたりがピークで、紙の定期刊行物がインターネットによって衰退を始めると、女性誌はもっとも打撃をうけた分野となった。

 そうした技術革新だけが、女性誌衰退の原因ではない。

「1986年に男女雇用機会均等法が施行されて、女性の地位が向上するにつれて、生き方を提示するような女性誌はつくりにくくなった。女性は今では様々な興味をもち、こまかな関心のグループにわかれ、それにあうような実用的なものに変わっていった」

 しかし、それぞれの女性誌がもっていた文化は紙の形でなくとも継承していけると日高は考えている。

「今、女性誌は、紙の刊行がなくなっても、WEBやイベント、あるいはその女性誌のブランドにむすびついたスポンサーとの商品開発など様々な方法で生き残りをはかっている」

 日高のことを深く知ることになったのは、私が上智でもっている授業で、ある学生が、「セブンティーン」の歴史について日高にインタビューをして調べたからだ。ティーン誌の草分けである同誌は週刊から月刊そして2021年には紙の雑誌の定期刊行を終えている。しかし、「セブンティーン」自体はWEBとセブンティーンモデルが登壇する学園祭などのイベント事業をする事業体として残っている。今の上智の学生が、「高校時代、セブンティーンの学園祭、私も行っていて凄く好きだったんです」と発言するのを聞いて、日高の言うブランドの継承というのはこういうことなのか、と思った。

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