<パート1 大華奈央香の真実> その2
――いつから作家活動を始めたのですか?
michitomo 2008年だったか09年だったと思います。よくアプガの作詞をやってもらってるNOBEと、でんぱ組.incの歌詞をモリモトコージ名義で書いているCOZYが、INFLAVAというユニットをやっていたんです。比較的エレクトロ方面な感じにフロウを乗っける感じのヒップホップをやっていたユニットで、そこに僕がアレンジという形で入ったのが本格的なスタートですね。その前にもいろいろ作家事務所には所属していて、土屋アンナさんのコンペが決まったこともあるんですけど、アーティストさんとガッツリ組んだのはINFLAVAが初めて。それからちょこちょこ音楽の比重が増えていきました。もともと音楽で金持ちになって女の子にモテモテになろうという安易な気持ちで北海道の帯広から上京したんです。音楽の専門学校に入ってバンド活動をしながらバイトを始めました。
――東京、どうでしたか?
michitomo 初めて住んだところが環八と新青梅街道のクロスする角の辺り。四六時中、車が通ってうるさいところだったんですが、「これが都会だ、このうるささが東京なんだ」って思って(笑)。そんな間違ったイメージから東京生活がスタートした。懐かしいな、もうかれこれ今年で、あれか、東京にいる年数のほうが長くなったんだな。18の時に出てきて今19年目だから。
バンドをやってるうちに、メンバーに気を使ったり合わせるのがめんどくせえなあ、これだったら一人で活動した方が楽だなと思うようになった。そのタイミングで専門学校を卒業になって、「卒業生は学校のスタジオを使うな」といわれて、そこからはバイトを転々としましたね。あるとき、求人誌を見たら「中古車情報のカメラの簡単なお仕事です」みたいな仕事が載っていて、面白そうだなと思って、いわゆる面接にいったら、神田の会議場みたいなところに、スーツを着た人が100人ぐらいずらっと並んでいた。僕はこんな風貌で、ピアスもしてたんで、絶対落ちると思ったんですが、適性検査とかの筆記試験を受けさせられて、筆記試験のあとに面接があったんですけど、どうせ落ちるから適当に業界の裏話でも聞けたらいいなって、こっちから質問ばかりしていたのに、結局採用になって。委託の契約で、確定申告もやらなきゃいけなくて、いきなり職業が自営業になってしまったんですよ。その仕事がきっかけでカメラをやりはじめて、そこからいわゆる雑誌とか店内写真の仕事もするようになった。
――michitomoさんのホームページには猫や風景の写真も掲載されています。
michitomo (ホームページに登場する)猫は2匹とも死んじゃったんですけどね。両方とも白猫で1匹がオッドアイ、もう1匹は長毛のふさふさでした。嫁の実家がすごい猫をいっぱい飼ってて、みつくろって「これ」って選んで、目が見えるようになったころに持って帰って。そこから猫の写真をとったりとか。今はもう、一眼を持つのが重たくてつらいですね。記録として残すならiPhoneでもそこそこいいのが撮れるから。
カメラの仕事をやりながらしばらくの間、知り合いのユニットとかグループとかに趣味で曲を提供していたんですけど、30歳近くになって、自分が何しに来たのかを改めて考えたんです。もともと音楽をやりに東京に来たんだし、音楽をちゃんとしなきゃと。そこから作家事務所にいろいろ曲を送って、ソニーの作家事務所に預かりになった。この世界はスピードが大事なんですけど、その頃はそんなのもわからないですから、1カ月ぐらいかけて丹精込めて1曲を作ったら無視されて(笑)。それから別のところに採用が決まって、という感じですね。ももいろクローバーに《走れ!》を提供したのは、写真の仕事をやめたばかりの頃です。
――当時のももクロは、マイナーな存在だったと思います。
michitomo レコード会社の方から「今度、ももいろクローバーっていうアイドルをやるんだけど、曲を集めてるから出して」っていわれたのを覚えています。参考映像を見せてもらったら、僕の記憶が確かであれば電気店の店頭で《ももいろパンチ》が何位になりました、ワーってやっている内容で。CDを50枚買うと特典でそのファンに向けたDVDが制作される。そんな世界があるの? って驚きました。CDを買うと握手券がついてくる、ということにもびっくりした。それが2009年ぐらいの、僕のアイドルに対する認識ですね。《走れ!》に関してはINFLAVAっぽい曲をやったら面白いかなって出したら採用されました。完全にINFLAVAのスキームをそのまま、ももクロに落とし込んだんです。
――早見あかりさんのラップとか、早見さんの低音とあーりん(佐々木彩夏)の高音がオクターヴで重なるパートとか、すべてがエモーショナルでした。
michitomo INFLAVAだとNOBEが高いパートでCOZYが低いパートなんです。それを僕は頭の中でイメージした。
――その後に落ちサビになって百田夏菜子さんが歌ってファンがケチャって、その後またひと盛り上がりして、今度はファンが腕を左右に振る。僕も現場で何度もやりました。すごく気持ちいいんです。
michitomo 僕の中では正直、特にこの曲だけに力を入れたということはありません。いつも最低限110点をとれるものという気持ちで作っているので。《走れ!》も110点のもののひとつだったんですけど、歌詞の世界観が当時の彼女たちにはまって、ダンスも振りもすべてがかみ合ったから、今、こういう評価を得ているんでしょうね。僕の功績は、せいぜい10のうちの1いけばいいくらい。ほかはメンバー、スタッフ、振り付けの方、歌詞をつくったINFLAVAの貢献です。
ももクロはそのあと、別のレコード会社に行って、制作チームも変わりました。そこで僕はユニバーサルの新しいアイドルに関わるようになりました。ぱすぽ☆(現・PASSPO☆)や吉川友ですね。2011年の秋ぐらいかな、「アップアップガールズ(仮)というグループがデビュー用の曲を集めてる」という話があって、ストックしていた楽曲を提供した。これを運よくマネージャーに気に入っていただけたので、そこに新たな歌詞をつけて完成させたのが《Going my ↑》です。
――作詞は大華奈央香さん。どんな方ですか?
michitomo あれ、実は僕なんです。
――(数十秒沈黙) 信じられない。どんな素敵な乙女かと……。
michitomo 女の子目線の歌詞にしたかったから、michitomo名義だと僕的にしっくりこないなと思って。曲ができてから、メンバーの境遇、ハロプロエッグをクビになったことや当時のキャラにあわせて作詞しました。関根(梓)は泣き虫で、小悪魔の片鱗もなかった。新井(愛瞳)はメガネをとったばかりで、まだKYでもなんでもなくて、ほかのメンバーについていくのに一生懸命でした。古川(小夏)と森(咲樹)には、僕が映画『Cheerfu11y』の音楽を担当した関係で一度会っているんですが、アプガ全員に初めて会ったのは、この曲が初めてファンの前で披露された2012年のバレンタイン公演です(於・TFMホール。面会の模様はDVD『アップアップガールズ(仮)が《Going my ↑》を初披露したライブのDVD!(仮)THE DVD Part.3』に収録)。[次回12/15(月)更新予定]
※michitomoさんホームページ「michitomo.NET」 http://www.michitomo.net/