1950年代に発生した水俣病。その原因が工場排水に特定されるまでには、病気の被害者たちと行政、企業による長い闘いの歴史があった。本書は、その歴史の中で生涯にわたり被害者側の立場を貫き研究を続けた「闘う科学者」、宇井純思想集の中の一冊だ。
 本書では再三にわたり「公害に第三者はあり得ない」という主張が強調される。公害問題において、被害を表面的にしか理解できない企業と、被害を人生の総体として受け止める患者との間には圧倒的な認識差がある。両者の力関係を踏まえず、第三者として「中間」に立つマスコミや行政は結局のところ、加害者と同じ見方にしか立てない──このラディカルな主張こそが、宇井と他の科学者との決定的な違いであった。その視線は自らの足元にも向かう。「中立」を名乗る学問も公害問題解決への障害となったと指弾されるのだ。
 原発、ヘイトスピーチ──現在社会で注目を集めるニュースの中にも水俣病同様「第三者」の立場性が問われる社会問題は数多い。著者の問題提起が現代に与える示唆は計り知れない。

週刊朝日 2014年10月3日号