夢枕獏のライフワークである「キマイラ・吼」シリーズの最新作が、遂に刊行された。前作『キマイラ9』の出版が、2010年8月なので、実に4年ぶりになる。だがまあ、作者のファンにとっては、それほど待ったという思いはない。シリーズ第1弾『幻獣少年キマイラ』が、今は無き朝日ソノラマ文庫から出たのが、1982年のこと。すでに30余年以上にわたり、読み続けているのだ。とっくの昔に、いつまでも待つ覚悟は出来ている。だから4年程度、どうということもない。

 それよりも気になるのが、ストーリーの進行具合である。周知のように作者は、書けば書くほど作品の内容が膨らんでいくという、生粋の物語作家だ。大鳳吼(おおとりこう)と久鬼麗一(くきれいいち)という、ふたりのキマイラの少年を中心に、無数の人々の織り成すドラマは、どこまでも拡大している。なにしろ『キマイラ7』から、主要人物のひとりである久鬼玄造の過去語りが始まると、時代は明治まで遡り、浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞(おおたにこうずい)が中央アジアに派遣した学術調査隊“大谷探検隊”の橘瑞超(たちばなずいちょう)や吉川一郎(よしかわこいちろう)、チベット入りを目指して消息を絶った能海寛(のうみゆたか)など、実在の人物まで登場。『キマイラ9』の途中まで、過去篇が続いたのである。もちろん話そのものは、ムチャクチャに面白いし、シリーズのバックボーンとして必要不可欠な部分であることは分かる。とはいえ、そろそろメインのストーリーを進めてほしいと、いささかじれったく思っていた。その渇が、やっと本書で癒されたのだ。

 前半の内容は、キマイラと化した麗一を、人間に戻すことだ。南アルプスにある牧場の牛が、化け物に襲われていると聞いた玄造は、それが麗一だと確信。宇名月典善(うなづきてんぜん)、九十九三蔵(つくもさんぞう)、菊地良二(きくちりょうじ)、巫炎(ふえん)らと、現地に赴く。また、三蔵とフリードリッヒ・ボックとの闘いに敗れた龍王院弘(りゅうおういんひろし)は、再起を図ろうと籠った信州山中で、キマイラ化した麗一と遭遇する。さまざまな人物の軌跡と思惑が交錯した騒動は、麗一が巫炎と一緒に去ったことで、一旦、幕を下ろした。

 ちなみに挫折した龍王院弘の再起は、三蔵の兄の九十九乱蔵を主人公にした「闇狩り師」シリーズの『崑崙の王』に詳しく書かれている。作者のファンならば、やっとここまで来たかと、感慨深いものがあるだろう。

 そして後半に入ると、宇名月典善の弟子であり、暗い魂を抱えて生きる菊地良二の半生が、クローズアップされる。たしかに彼は、作者に愛されているキャラクターだが、シリーズの中では脇役である。なのにどうして、ここまで詳細に書いてしまうのか。その理由を説明するために、夢枕獏のオリジナル・ストーリーを伊藤勢が漫画化した『闇狩り師 キマイラ天龍変』について触れておこう。本シリーズの中で触れられている、巫炎と乱蔵が闘ったというエピソードを、大きく膨らませた物語である。

 注目したいのは、ある登場人物の発する「あたしがお前のすべてを肯定する――」というセリフだ。この人間に対する全肯定こそ、デビュー当初から作者が書き続けているテーマのひとつになっている。おそらく「キマイラ・吼」シリーズの行き着くところも、そこであろう。

 だから作者は、菊地良二の半生を描かなければならない。『崑崙の王』で、龍王院弘の再起を描かなければならない。久鬼玄造の過去語りで、現在へと繋がる人々の生と死を描かなければならない。人間の諸相をこれでもかと表現することによって、すべてを肯定することの意味が、雄々しく立ち上がってくるのである。

 一方、シリーズのモチーフに目を向けると、また別のものが見えてくる。個人的な読書体験だが、朝日ソノラマ文庫版で、『キマイラ餓狼変』を手にしたときのことだ。台湾に渡った真壁雲斎が、昔の修行仲間の猩猩(しょうじょう)と会うという内容を辿っているうちに、卒然と悟った。「キマイラ・吼」シリーズとは、夢枕獏版『西遊記』なのだと。

 ああ、ならば九十九三蔵は、三蔵法師ではないか。後に作品集『半獣神』に収録された、「キマイラ神話変 序曲」を読むと、三蔵と雲斎が、大鳳吼を助けるために、長い旅をしてきたと書かれている。これが経典を求めてチベットへ向かった三蔵法師の苦難の旅の準(なぞら)えでなくて、何だというのだ。もともと作者は自分の好きな物語として、何度も『西遊記』を挙げている。その世界を咀嚼し、自己流に再生したのが、「キマイラ・吼」シリーズだといえるのである。

 30余年を経て、いまだシリーズの熱量は変わらない。瑞々しい感性で、ひたすら面白い物語を追求する、作者の一貫した姿勢には、脱帽である。そしてこれからも、「キマイラ・吼」の世界に遊ぶことができるという事実を、大いに喜ばずにはいられないのだ。