2007年出版の自叙伝『クラプトン』の、原書でいうと60頁に、ボブ・ディランとの出会いが書かれている。1965年4月から5月にかけて、ディランは初の本格的な英国ツアーを行っているのだが、ちょうどその時期、ブルースブレイカーズに参加したばかりのクラプトンは、ジョン・メイオールの推薦もあって彼のセッションに参加したというのだ。ディランが《ライク・ア・ローリング・ストーン》を録音するのは同年6月、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルのステージにエレクトリック・バンドを従えて登場するのは7月のことだから、すでに、さまざまな機会を生かして、意欲的な試行錯誤を重ねていたのだろう。
そのセッションがなんらかの形で作品として実を結ぶことはなかったが、ともかく、じつに興味深い、意外な接点だ。もっとも、20歳のブルース求道者はディランの音楽からはまったくなにも感じとることができず、また、どちらもシャイな性格のせいか、言葉を交わすこともなかったらしい。
翌66年春発表の『ブロンド・オン・ブロンド』を聴いて、クラプトンの気持ちは変わった。《レイニー・デイ・ウーマン#12&35》や《ジャスト・ライク・ア・ウーマン》などを収めた歴史的名盤をきっかけに、ようやく彼は、ディランの音楽に積極的な興味を持つようになったというのだ。彼自身の内面的変化も大きかったのかもしれない。《レオパルド・スキン・ピルボックス・ハット》でロビー・ロバートソンが弾く鋭角的なリード・ギターからも強烈な刺激を受けたはずだ。
自叙伝にはさらに、ディランが翌年ロバートソンたちとウッドストックで録音した『地下室テープ』を、ブートレッグの段階で聴いていたことも書かれている。ディランを媒介に、クラプトンとロバートソンの距離も徐々に縮まりはじめていたのだ。
エリック・クラプトンとボブ・ディラン。以来、さまざまな形で交流を重ねてきた二人の男の関係を語る際に忘れてはいけないのが、ロバート・ジョンソンだ。すでにこのWEB連載で書いたとおり、ジョンソンの最初の作品集『キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ』が発売され、アートスクールに通っていたエリック少年の人生を変えてしまったのは61年。同じころ、ニューヨークに出てきたばかりのディランは、巨匠ジョン・ハモンドから渡されたテスト盤を聴いて衝撃を受けた。そして、何度も、何度も聴き返したという。[次回7/9(水)更新予定]