日本ではこれが初めての翻訳本となるブライアン・エヴンソンの短篇集、『遁走状態』。ここに収まった19篇の物語は設定も長さもばらばらだが、一貫しているのは、それぞれの主人公たちがとんでもない状況に追いこまれる点だ。
たとえば、ある日の両親の行動に関して異なる記憶を抱える姉妹のやりとり。見えない箱に眠りを奪われてしまう女。自分で制御できない言葉を発するようになった大学教授の苦悩と選択。ひょんな流れで偽の教祖となってしまった男。そして、目から出血して死んでいく男たちに囚われる「私」の迷宮を描いた表題作。
これらのどこかユーモアが漂う異常な作品群を、私は日々1篇ずつ読んだ。中にはタイトル込みで4ページしかない超短篇もあったが、正直に書けば、不可解に見える作品世界を妙に生々しく感じ、早々とは先に進めなかったのだ。主人公たちが放りこまれた奇天烈な場面をかつて垣間見たことがあったような、なかったような。彼らと同じ不安に苛まれ、いつもの自分らしからぬ言動をとった過去があったような、なかったような……どちらにせよ、日に2篇はちょっと重すぎた。
読んでいる最中、私はバランスについて何度も考えた。他人に囲まれた社会で生きていくために、自己と他者、過去と現在、現実と妄想などいくつもの二項を区分けし、社会通念に従うべくあれこれ学習して身につけてきたバランス。無意識のレベルでバランスがとれる者を大人というのかもしれないが、エヴンソンはその調和の崩壊場面を執拗に、多様なアプローチで読者に見せつける。主人公たちが経験する残酷さは、だから、私の中に押し隠しているバランスに対する不安と通底し、じわじわと恐怖へ化けていく。
良質の文学は、やっぱり怖くて面白い。自分が抱える「生の不安定さ」をこうして晒された今、私は他では味わったことのない開放感にひたっている。
※週刊朝日 2014年5月30日号