『Music From The Penguin Cafe』Penguin Cafe Orchestra ※オブスキュアのレコードと同じ内容ですが、ジャケットは異なります。
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『Roxy Music』
『Matter of Life.』Penguin Cafe ※新生ペンギン・カフェのCD
1983年来日のときのブライアン・イーノ(撮影:小熊一実)

 ペンギン・カフェ・オーケストラが来日するという。リーダーのサイモン・ジェフスは亡くなっているはずだがな、と思って調べてみると、その息子のアーサー・ジェフスを中心に、活動を開始したという。

 わたしがペンギン・カフェ・オーケストラを知ったのは、1976年、彼らのデビュー・アルバム『ミュージック・フロム・ザ・ペンギン・カフェ』を聴いたときだ。
 80年代に彼らは名を知られ、活動の幅を広げていくが、このデビュー・アルバムが発売されたときにはヒットしたとは言えないだろう。では、なぜわたしがこのアルバムと出会ったかというところから話を始めよう。

 話は72年にまでさかのぼる。その年のある日、よくあることだが、高校からの通学の帰り道、レコード店に寄り道した。そこで、ショッキングなジャケットが壁にかけられているのを発見したのだ。ロキシー・ミュージックのデビュー・アルバムだ。
 そのLPジャケットは、それまでのわたしの知っている世界とは、異質なものが写っていた。

 女性が1人写っているだけのジャケットなのだが、その女性が着ているものといったら水着みたいな衣装だし、踊り子さんなんだろうなとは想像できたが、本物は見たことがない人種だ。ま、そのころは、外人さえもあまり見たことはなかったけれど。
 映画『卒業』の中で、ダスティン・ホフマンが、キャサリン・ロスに嫌われようとして連れていった店で、胸にくるくる回る房をつけて派手な下着のよう衣装で踊っていた踊り子がいたが、あんな世界の人なんだろうな、と胸を熱くした。ゴージャスにも見えるのだけれど、でもなんとなく、少しチープな感じもする。これはねらっているのだろうか、わざとなのだろうか?

 しかも、プロデュースをキング・クリムゾンのメンバーでもあったピート・シンフィールドが手掛けているというので、聴きたくて我慢ができなかった。
 そこで、お店の人に頼んで試聴させてもらった。試聴といっても今のようにヘッドフォンで聴くのとは違って、レコード屋さんの店員さんがお店のBGM用のプレーヤーでかけてくれるのだ。わたしの行っていたレコード店は頼めばかけてくれたが、なんでもかんでも試聴したいと言ってはいけないぞ、というようなオーラが出ていて、頼むのには勇気が必要だった。そしてその間にジャケットを見せてもらい、いそいで解説などを読むのだ。
 ちなみにレコードの包装にもいくつかあって、たとえばCBSソニーのレコードはビニールで閉じてあったので、試聴させてもらえなかった。さいわいにも『ロキシー・ミュージック』は封をされていない類の包装のレコードだったので、試聴させてもらうことができた。

 かけてもらっている間にジャケットを開くと、その中にはメンバーのポートレートがあったのだが、一番左の人は虫の複眼のようなメガネをかけているし、他のメンバーもわたしの知っているロック・ミュージシャンというよりは、ちょっと昔のロックン・ローラーを派手にしたという感じだった。あやふやな記憶によれば、キング・クリムゾンとシャ・ナ・ナの融合したような音楽と評されていたような気がする。

 音楽は一度聴いてそのよさがわかったわけではなかったが、なんとなく気になり、しばらくして購入した。そしてゆっくりとジャケットの中を見て、トラの模様の服を着ているのがボーカルのブライアン・フェリーだとわかった。そして豹柄の服を着ている人にはenoと書かれていた。
 担当は、シンセサイザー&テープと書いてる。テープってなんだ? と思った。ただ、テープ・レコーダーをかけるわけではないだろう。音楽を聴いていくと確かに変な音が入っている。戦場の音のような効果音も入っている。これのことなのだろう、と。

 そしてほぼ1年後の73年に、2枚目『フォー・ユア・プレジャー』が発売される。そして、今回もなかなかにかっこよいジャケットだったので購入した。ジャケットを開いてみると、そこにはメンバーが1人づつギターを弾いている写真が写っているのだが、その中のenoの衣装といったら、ロンドン・ブーツに短い上着で、お腹が露出していて、肩から鳥の羽が何本も飛び出しているうえに、もちろん化粧もしている。当時、すでにグラム・ロックの時代がはじまってはいたが、その中でもenoの存在は、ちょっと特殊だった。
 デビッド・ボウイやマーク・ボランに比べると、ちょっとやりすぎというか、主役じゃないから、好きに遊んでしまってもいいでしょ! といった印象をうけた。そして、enoは、この2枚で、ロキシーを辞めてしまう。

 そのあともコンスタントにソロ・アルバムを出していく。わたしの好みとしては、ロキシー・ミュージックよりも、ブライアン・イーノとして出されたソロ作品のほうに惹かれていった。プログレのようなポップスのようなその音楽に、他にはない魅力を感じていた。そして、『ディスクリート・ミュージック』が出された。
 そこには、それまであったポップなノリはなく、実験音楽のようでありながら、刺激的でなく、なんとも心地よい音が流れていた。調べてみると、『ディスクリート・ミュージック』は、イーノが作ったオブスキュア・レーベルの作品シリーズの1枚で、全部で10枚も出ているという。しかし、その情報がなかなかなく、探しまくってやっとマイナーな雑誌で特集を見つけた。そこには小さなレコードのジャケット写真と数行の解説、そしてミュージシャンの名前が載っていた。

 しかし、知っている名前といえばジョン・ケージくらいで、その他の名前は聞いたことも見たこともなかった。それどころか、どこのレコード屋に行ってもそんなレコードは置いてなかった。しかし、探せばあるものである。池袋西武(もしかするとパルコ、いや引っ越したのだったかな、曖昧です)の上の階にあったアールビヴァンという美術書屋の一角にレコードも置いていて、そこでオブスキュアのレコードと出会えたのであった。
 わたしはすでに東京で暮らしており、バイトで稼いだお金は本とレコードに注ぎ込んでいたが、それでも10枚1度に買ったりはできず、バイトをしては1枚、また1枚と買っていった。

 その中で特に気に入ったレコードが、ハロルド・バッドの『パビリオン・オブ・ドリーム』、そして『ミュージック・フロム・ザ・ペンギン・カフェ』だ。
 どちらも現在CDで購入することができる。

 ペンギン・カフェ・オーケストラは、それからも数枚のレコードやCDを出し、ブームに近い人気も出た。82年に念願のライヴを五反田の簡易保険ホールで見ることができた。
 そして、リーダーのサイモン・ジェフスの息子が新しいメンバーと、名前を「ペンギン・カフェ」と改めて来日する。

 うわさだけは聞くが見ることもできなかったマイナーなレコードを探しまくっていたあのころに比べ、今ではネットにアーティスト名を入れ動画とクリックすれば、今日紹介した音楽のすべてに出会えるであろう。簡単に手に入ることが、本当によいことだけなのかどうかは今でもわからないけれど、その恩恵は大切にすべきだと思う。
 もし少しでも興味を持っていただけたら、検索して聴いてみてほしい。
 
 あ、おまけです。83年にラフォーレ・ミュージアムが、ブライアン・イーノの音と光のインスタレーション展を開催したのだが、その初来日のときにわたしは、イーノを撮影している。そのときの写真も、今日は見ていただこうと思う。[次回2月19日(水)更新予定]

■公演情報は、こちら
http://plankton.co.jp/penguin/

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