



――カメラはいつから?
高校がデザイン科で、写真の授業があったんです。学校のニコンの一眼レフで撮影し、プリントする。暗室作業がすごくわくわくしましたね。学校の先輩に、夏休みに8ミリ映画のカメラマンもやらされました。「きみは視力がいいから」って(笑)。いまぼくがやってるようなコマ撮りで、ゴジラが街で暴れるというものでしたが、ファインダーに視度調節があるのも知らず、ひと夏かけて撮った映像が全部ピンボケだった(笑)。でも、それをきっかけに映像が面白くなって映画の学校に行き、テレビのCM制作会社に入りました。3年目に仕事の壁がやってきて「おれ、このままでいいのかな」と考えて一回会社を辞めたんです。で、違う何かを探したくて、海外旅行でもしようかと。せっかく行くなら写真くらい撮ったほうがいいかなと思ってカメラを買ったんです。
――そのときのカメラは?
コンタックス139QUARTZです。銀座の中古屋さんをまわって直観的に買いました。じつは最初は、137MD QUARTZを買ったんです。でも、勝手に巻上げる「ウィーン、ウィーン」という音がうるさくて嫌だった。それで3日後にまたそのカメラ屋さんに行って、「手巻きのほうがいいんですけど」と言ったら換えてくれました。旅先でまた全部失敗したらまずいと思い、行く前にいろいろ練習しました。当時住んでいた東久留米市では、朝10時から夜10時まで500円くらいで市の暗室が借りられた。そこで焼いているうちにだんだん写真にはまっていって、結局旅行には行かなくなってしまった。(笑)
――ニューマミヤ6は?
コンタックスの1年後くらいです。横長の写真だと今までやってた映像の仕事と近い感じがして、横長は動画じゃないと嫌だなと。「じゃ縦か?」と思って縦にしてみると、今度は「かっこよすぎる」。だから正方形が自分にとってすごく居心地がよかったんです。それで、ニューマミヤ6を買ってしまいました。中古だけど10万円くらいして、「趣味なのにこんなカメラを持っていいのか」と思いながらも、使ってみたら本当に心地よくて、ますます市の暗室にこもるようになった(笑)。そこは夜9時くらいになると「出てください」ってドアをたたかれちゃうので、自由にやりたくて自宅の風呂場に暗室を作りました。サービス判ではない大きさで見られると、「作品だぜ」っていう気がして、すごくやってる感があったんです。
そのころはフリーランスでCMの仕事を1カ月くらいやって、終わったら1カ月くらい休んで、ぷらぷら写真を撮る。そういう生活を5~6年やってたのかな。ろくに働きもせず、手ぶらで散歩してるといけない人のように見えるけど、カメラを持っていればどこへでも行ける気がしました(笑)。カメラが心の支えのようなものでした。今日はたくさん撮れたと思える日もあって、風呂場で作品ができるのを見て、「おれはむだに生きてるわけじゃない」という喜びがあったんです。
――今はどんな存在ですか?
相変わらず心の支えになっています。仕事で海外に行くときも毎回、マミヤを荷物に詰めちゃう。カチッと絵づくりするのが嫌なので、このカメラの絞りF8というのがしっくりきてて、歩きながら撮るにはいいんです。自分にとって、いちばん頼れる存在ですね。
以前、ロバート・フランクのワークショップに参加したことがあるんです。そこで「自分は何を言いたいのか、言っていないのか」を写真に撮るという課題が出ました。困って、親に会いに行ったり自分の影を撮ったり……提出した作品は「Good」と言われただけだったけど(笑)。そこで教わったのは、作品へのアプローチとか作家性だと思います。今でもそのことをいつも考えながら作品を作っています。2010年2月にぼくが撮影した写真で、絵本「なまいきヴォルク」を出しました。身長14センチのオオカミの人形をちゃんと撮りたかったので、フジGX680III Professonalを使いました。レンズは50、80、115ミリの3本。スタジオのセットでなく、リアルな世界に人形を置いて「生き物」に見えるように撮ったので、レンズやアングルを考えるのが楽しかったですね。今は続編のストーリーを作ってるところです。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2011年5月号」に掲載されたものです