芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「夢」について。
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「最近は何か夢を見ましたか。僕は物凄いスピードで飛ぶ飛行機を何機も見て、技術が進歩した、と感動していたら、それは夢でした」との鮎川さんからのお題です。
僕の夢のキャリアは長いです。1970年以来53年間、夢日記を書いています。「夢日記」も2冊出しています。夢日記を記述するようになったのは、毎晩のように空飛ぶ円盤(当時はまだUFOという呼称は一般的ではなかった)が夢に現れて、宇宙人が僕を空飛ぶ円盤に乗っけてくれて、地球を離れて、地球外惑星に連れていってくれたりする。こんな夢が7年間も続いたんです。空飛ぶ円盤や宇宙人の夢だけでなく、ほとんどの夢が超現実的なスペクタクルなものばかりで、夜になるのが楽しみで、毎晩スペクタクルな映画の主人公を演じていました。
ところが現在はそんな楽しい夢は全く見ません。日常とほとんど変わりのない、実に空虚な夢ばかりです。夢は一種のフィクショナルなファンタジーなはずなのに、最近の夢ときたら全く夢としての価値のないものばかりで、これを夢と呼ぶこと自体おこがましいほどです。
ここ数日の間に見た夢とは呼べない夢の話をしましょう。先ず最初に見た夢は、アトリエの床に未使用の油絵具が沢山ころがっています。僕の色彩感覚のカテゴリィから排除された色ばかりです。だけど逆にこのような普段絶対使わない色だけで絵を描いてみたらどうだろう、とこの間から思い始めていたのです。そしたら、そのままの考えを夢に見たのです。床に未使用の絵具がころがっている夢で、この絵具で絵を描くとどうだろうと、普段考えていることがそのままそっくり夢になったのです。
そして、もうひとつの夢は、この間から明恵上人の本の書評をすることになって、書くことは書いたのですが、最後がなかなか上手くまとまらないで困ったなあ、と思っている状態が、そのまま夢になって、夢の中で困ったなあと思っているのです。