もう一本の夢は、寒山拾得の絵を描いたのですが、画面の中に、英文を書き入れたくなって、知人の学芸員に和文の言葉をメールしようと思っていたのです。すると夢の中に入れる英文のメールが届いて、早速、絵の中に描きこもうとするところでこの夢は終わったのです。
この3本の夢は覚醒時に考えていたことがそのまま夢になった夢だけで、日常の延長そのもので、わざわざ夢にするほどの夢ではないのです。ただ日常の想念をそっくり、そのまま夢で反復しただけ、わざわざ、夢にする価値など全くない、想念と時間の無駄をしているだけです。
普通なら、もう少し夢に進展があってもいいはずですが、全く気のきかない、印刷物のコピーのような夢です。これにはあきれかえるしかないです。夢といえば無意識の願望を達成するとかで、何らかの効用があっていいはずですが、それがないのです。全く0(ゼロ)です。
もう夢を見る、または見せる価値のない存在の人間になってしまったんでしょうか。夢というより単なる雑念です。フロイトもユングもへったくれもない夢です。河合隼雄さんは僕のかつての夢を「人類の宝」だと言って評価して下さったが、もし今の夢の話をしたら、きっと「人類のゴミ」だとおっしゃるような気がします。
わざわざ夢にしなくてもいいことをわざわざ夢にして見せるなんて、もし夢の神様がいたら、一体何を考えているのか、と文句のひとつでもいいたいところです。一日一日を価値のあるものとして生きて行こうと思っている時に、この価値のない生き方を与えようとする夢の神様は、どうかしている、眠っているんじゃないかと文句がいいたいくらいです。
人間には無意識がある。夢はその無意識をつかさどっているというが、僕の夢は無意識ではなく、そのまま顕在意識じゃありませんか。フロイトもユングも間違っとる、と抗議したいところです。僕の夢は人間には無意識がないということを証明したに過ぎないのです。そーいう意味では心理学の学界の理念を根底からひっくり返したことになります。無意識というのは実は意識の反復だったと言い直してもらいたいと思います。