ベストセラー『がんばらない』のほか『がまんしなくていい』、『言葉で治療する』など数々の著書を発表し、独自の哲学で注目を浴びている、医師で作家の鎌田實さん。医師としてはかつて4億円もの累積赤字を抱えていた諏訪病院を立て直し、その後は常に黒字運営を続けたことでも有名です。そんな鎌田さんが今回『○に近い△を生きる』を出版。鎌田さんの「△」の哲学について伺いました。



―――今年に入ってから『がまんしなくていい』『鎌田式健康ごはん』『大・大往生』など、かなり多くの書籍を出版していますが、今回の著書の発表に至った経緯を教えてもらえますか。



実は、今年はほぼ毎月本を出しているような状況で、もう休んでもいいかなと思っていました。でも「NO」というのがヘタで(笑)。ポプラ社の社長や編集者の方からお話があったときも、何度も強く断ったのですが、それでも何度も何度もすすめられて。頑固な社長からは「どんなことがあっても書いてほしい」と言われました(笑)。それで、今回は少し変わった挑戦をしようと思い、自分を見つめて一冊の本にしようと考えたんです。今回は字数もかなり書いていて、実は2冊分の分量を書きました。編集者の方に「もういいでしょう」と言っても「いや、先生、まだ書けます!」と言われ続けて、気付いたら2冊分に(笑)。その中から抜粋して作った一冊になっています。



―――今回は「○に近い△」という生き方がテーマですが、これはどういうことでしょうか?



自分自身を見つめた時、僕はいつも○でも×でもなく、とがった△を求めた生き方をしてきたな、と思ったんです。もし僕が絶望しそうな状況にあっても、×じゃなくて×に近い△の生き方をする、という考え方が身にしみついている。これは例えば原発問題にも言えることで、今は原発推進派の×と、反原発派の○とがヒステリックに闘って、議論ができないくらいになっている。でも、民主主義というのは○に近い△を探すことじゃないかなって。本来、そういう風にしていかないと強くて良い国にならないのに、その議論をさぼっているんじゃないかと思って。国のあり方も、○に近い△を探せばいいし、一人ひとりの生き方も、本当はそんなに○や×にこだわらないで、無数の△、正解とは違う「別解」がある。それぞれの形で生きればいいんじゃないかと思うんです。



―――確かに、今は何事も○×で判断しやすい時代になっている気がしますね。例えば就職や進学なんかもそのひとつだと思うのですが、思うような道に進めなかった人たちには、どんな△の考え方があると思いますか?



実は今回の本は「18歳の夏、父親の首を絞めた」という文章から始まるのですが、これは僕の「大学に行かせてほしい」という願いに、父が「貧乏人は勉強なんかしないで働け」と言ったことが発端だったのです。僕は父からなんとか許可をもらい、大学に受かって医師になりましたが、もし受からなかったら、「お寿司屋さんになる」と言っていたんです。



―――なぜ、お寿司屋さんだったんですか?



僕は○に近い△を生きる、面白い方法はいくらでも思いつくという自信があって。そのひとつがお寿司屋さんで、もしそうなったら最初の10年は苦労するだろうけど、小さい店を一軒もったら、絶対に誰にも負けないお店にして、世界チェーン店の社長になって、ベンツに乗っているだろうな、と。それはそれで、今と違った面白い生き方になっていただろうなと思います。



実は以前、マクドナルドCEOの原田泳幸さんとお話しする機会があったんですが、彼も「大学に行けなかったらお寿司屋さんになる」と言っていたそうです。原田さんもIT業界から飲食業界へ、という異例の経歴をもっていますが、原田さんや僕に共通しているのは、もし大学がダメでも、寿司屋に丁稚奉公する生き方の方が面白いかも、と感じたことでしょうね。今の就職問題にしても、「あの企業じゃなきゃだめだ」ではなくて、もし希望と違って、例えば食堂で働くことになったとしても、「この食堂を日本一にしてやろう」と考えたたり。その場所で光り輝く方法を見つければ、いくらでも面白く生きられると思います。



―――鎌田さんにとってお寿司屋さんは○とは違う別解、△の考え方のひとつだったんですね。一方で最近は大人だけでなく、受験が低年齢化し、子どものころから○×で物事を考えるようになっている気がします。今の子どもたちにはどんなことが必要だと思いますか?



この○×の風潮は、子どもたちにとってはすごくマイナスだと思います。大事なときに複雑にものごとを考える訓練がおろそかになって、早く○に近づくことを教え込まれるわけですよね。



―――もし先生でしたら、どのようなことを教えたいと思いますか?



以前、私は番組の企画で小学生たちに1日だけ授業をしたことがあるんですが、その時にはホスピスに連れていきました。その患者さんの中に「私は病気で近々死ぬ、ということが分かっているんですが、『死ぬと分かっている患者がどう思っているのか』を、子どもたちに語ってあげてもいいですよ」という方がいて。「死」を考えるということは「生きる」ことの尊さを考えること。また、死ぬと分かっているという人が、自分たちのために時間を割いてくれていることや、どんなことを考えているかなどを学ぶわけです。授業の後、子どもの中には「自分のおじいちゃんが亡くなったときに、もっと色んなことができたんじゃないかと思った」と話す子もいました。大人がこれは見せていい、見せてはいけないと決めるのではなく、大人が寄り添いながらいろいろなものを見せることで複雑な考え方、△を見出す考え方ができるようになるのではと思います。





何事も○×で判断するのではなく、「○に近い△」を目指してみる――。すると考え方に幅が出て、肩の力が抜けた生き方ができるのかもしれません。○や×に囚われない生き方は若い読者の共感も得ており、今回の著書は幅広い層に読まれているそうです。本の中ではこのほかにも仕事や恋愛の△から、病院運営、国家の成長戦略、さらには革命家チェ・ゲバラの△など、あらゆる分野の「△」が書かれています。多種多様な「△」の中から、自分に響くものに出合えそうな一冊です。