ニューヨークのとある橋の下で
ニューヨークのとある橋の下で
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初めて演奏させて頂いたライブハウスカフェクレールさんにて
初めて演奏させて頂いたライブハウス
カフェクレールさんにて

 私事ですが、デビューしてから今年で10年が経ちました。

 14歳でライブハウスを巡り始めてから、初めていただいた大きなお話しでした。
 その当時は、
「もっとうまくなって、満を持してデビューの機会を待ちなさい。」
と、よく言われたものですが、なぜだか私には「どうしても今しかない。」と感じたものでした。

 CDを録音する前、武者修行のため、日本コロムビアレコードのディレクターと、それから写真家の田村仁さんと雪も溶けてきたニューヨークへ行きました。
 初めて立つニューヨークの街は、映画のように道路から湯気が立ち、色々な国の言葉が飛び交っていて、絶望をしているような人や歓喜に満ちた人が交差する、まさに「るつぼ」でありました。

 街のパワーに圧倒されつつ、ライブハウスへ楽器を持ってゆくと、お客は子どもの健闘に喜びこそすれ、ミュージシャンからの反応と言えば、柔和な対応ばかりではありませんでした。
 「日本人だ。」と自己紹介しても、ひたすら「チャイニーズチャイニーズ」とわざと言われたり、予定していたキーとは違うキーで始まったりと、今なら大した事はないですが、言葉もろくに通じない大きな男達のそういった態度に堪えねばなりませんでした。
 もちろん、技術面で当時は今よりずっと未熟でしたから「ガキの下手くそがいきがって。」と面白くなかったのはよくわかります。これが「自分は決して若い子に意地悪をするまい。」という考えるようになったきっかけで、若くしてデビューして良かったと思うことのひとつです。

 その時に思ったことは、今思い出しても少し笑ってしまうのですが、練習してもっとうまくなって何も言わせないよう頑張ろうとはあまり思わず、
「こんなところに居たくない。もっと売れてアップタウンに行けばいい。」と考えたものでした。

 しかし、子どもの恐ろしいのは、英語など全く喋れないで渡米したのに、何回かセッションするうちに平気で英語で簡単な打ち合わせなんかをするようになっていたこと。知らないということは怖いことでもありますが、私が何もわからずデビューしたことで得たものは大きく、知らないことは強さだと思っています。周りは大迷惑だったりもするのでしょうが。
 この頃は、出来ることをするので精一杯だったので、緊張なんかしてる場合ではなかったのをよく覚えています。

 CDデビューしてからは、高校へ通いながらの音楽活動でした。
 楽器と衣装を持って満員電車に乗ったり、時にはトランクも転がして通学しました。

 昔馴染みのライブハウスの方々は
「沙織ちゃんは制服着てリハーサルに来ててねえ。」なんて目を細められることも度々ですが、当時の学校からライブハウス直行スケジュールは、かなりすったもんだしたものでした。
 朝7時台の電車に乗り、夕方下校するやライブハウスへ行き、終わるのは深夜帯。さらに、演奏が終わってからなんやかんやと教えてもらったり、怒られたりして、結局帰るのは午前様。
 時には現場が地方で、学校が終わり、そのまま新幹線に乗り、一泊して始発で東京に帰り、そのまま登校。
 人はよく、「若かりし高校生時代に戻りたい。」と言うものですが、私はちょっととてもじゃないけど戻りたくない…。
 疲れからなのか、十代のそれゆえなのか、この頃は怒ってばかりいました。
 遠回しな物言いをする周りの大人は無能だと思い、にこにこと当たり障りのないことを言っては誘い笑いをするような大人は、ばかだと思っていました。会う人会う人、自分の勝手に相手の内心を推し量り、どうせつまらない人間だと思ったこともありました。

 高校を卒業すると、進学もせずにそのまま音楽活動に従事しました。
 その頃に、恩師であるJams Moody氏に出会い、当時もう82歳だった師匠の言葉と厳しいレッスンに翻弄されました。
 先生の、
「長生きが一番偉いんだよ。だって長生きは辛いから。」
と言う言葉は、その多くを聞かずとも身にしみました。

 二十歳になる頃に、デビュー前からたった二人で頑張ってきたつもりだったマネージャーの度重なる不祥事が明るみになり、裁判にまでなりました。それは私ばかりでなく、恩師をも裏切る行為で、ムーディーにはマネージャー共々可愛がられていたので、唖然としました。
 友達のように仲が良く、プライベートのこともお互い話すような間柄だったのに、彼のそのプライベートのことさえほとんど嘘だったのを知ったときには、失望を通り越して薄ら寒いような恐怖さえ感じました。
 お金を目の前にすると、普通では考えられない行為に及んでしまう人がいることを身をもって知ることになりました。
 それに気づいてからは、自分が一つ仕事をする度に、たくさんの大人が動いていることを知りました。
 それからは関係者一人ひとりに、素直に感謝できるようになり、以前のように考えていたことを恥じました。

 二十歳を過ぎてしばらくしてから結婚したり、少しお休みを頂いたり、父が亡くなって、去年、10枚目のアルバムを録音しました。

 活動10年目にして、それまでアドリブソロ重視だったのを、歌、テーマがいかに大切かに気付き、テーマを歌うようにレコーディングしました。

 最近は、気づけば人見知りもだいぶ治り、なんだか図々しくなった気がして、昔より色々な事が楽しくなりました。

 これから向こう10年がどうなるかが楽しみです。

 精進致しますので、どうぞこれからも見守っていてください。

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矢野沙織 Live Schedule

10/24(Thu) ミスターケリーズ
10/26(Sta) 名古屋STAR★EYES
10/27(Sun) 名古屋STAR★EYES
11/16(Sta) 横浜市栄区民文化センターリリス
12/12(Thu) 目黒ブルースアレイ
12/15(Sun) 西新井カフェクレール
12/22(Sun) 兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール

詳細はこちらより
http://www.yanosaori.com/live/
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