



――カメラ歴は?
中学1年生のとき、田舎の中学の先生をしていた親父が所有していたカメラを触ったのが初めてです。なんというカメラかもう忘れちゃったけれど、レンズの横にシャッターチャージみたいなのがついていて、それを押し下げると「ジー」と音が鳴って精密機械独特のバネの感触が気持ちよかった。でも写真を撮ったのはそのときぐらいかなあ。本格的に撮り始めたのは、1974年に「東京建築探偵団」をつくって、東京の西洋建築を調べ始めてからですよ。そこで撮った写真を長谷川堯さん(建築評論家)に見せたら「ちゃんとプロに教えてもらってから撮れ」と怒られた。でもどこが悪いのか、言ってくれないんだよね。おそらく直しようがないほど悪かったと思う(笑)。それで建築写真家の増田彰久さんにコツを聞いたら、非常に簡単で「正面から撮れ」と。(笑)
でも考えてみれば、ぼくはそれまで一度も正面から撮ったことがなかったんですよ。正面から撮ると横が切れるときがあって、それが嫌でいつも斜めから撮っていた。そういう写真は中途半端で印象に残らないんだよね。それで壁面に平行にカメラを向けて撮ると、どことなく印象深くなるのでびっくりしました。
――今までどんなカメラを?
建築写真といえば垂直を出すためにアオリレンズを使う人が多くて、ぼくも一度だけ使ったことがあるけれど、リズムが崩れるのでやめました。ぼくは「見て」「考えて」「スケッチして」「写真を撮る」なんです。そこでアオリレンズを使うと操作が面倒で流れが分断される。それが不愉快なんですよ。撮影はピントを合わせてシャッターを押すだけで十分。
自分で気に入って使っていたのは、ライツミノルタCLEです。小さくて扱いやすい。でも巻き戻しレバーが取れちゃったりとか、壊れやすいんだよなあ。3台ぐらい潰したかな。人からは「このカメラはそんなに酷使するものじゃない」て怒られたけれど。ぶつけてフィルターのガラスにひびが入ったこともある。外れないから石でガラスをガンガン割ってたら、それを見た赤瀬川原平さんがひっくり返った(笑)。「精神衛生上悪いからやめろ」
赤瀬川原平さんらと路上観察学会を始めたときはニコンのMFカメラで、そのあとAF機能が付いたのがうれしくてミノルタα-7000からAF機に入ってデジカメに来て、これで打ち止めかな。ルミックスL10は建築とカメラの両方に詳しい人にプレゼントされました。カメラ選びは人任せですね(笑)。デジカメになって助かったのは、フィルムの入れ忘れがなくなったこと。撮った写真が手元にあること。昔は写真をマスコミの人に貸すと返ってこないことが多かったんですよ。デジカメはそんな心配はないし、海外のメディアにもメールで送れるのが便利です。ライカに興味はありません。赤瀬川さんからさんざん話を聞かされて逆にライカウイルスに免疫ができているので発病しませんよ。(笑)
――対象は建築だけですか?
人物やモノは撮らないですが、きれいな風景は撮ります。もっとも海外に行くと1週間で2000キロも建築から建築へ移動していくので、なかなか風景を楽しんでいる余裕はありませんが。風景を撮るようになって、建築写真に対する考え方は変わりました。最初は単なる記録で撮っていたんですが、表現する写真も面白いなと思うようになりました。ぼくが撮っている古い西洋館などは、ぼくの写真にしか残っていない。丸の内だと30くらいのうち28はなくなっています。そういう建物のよさをちゃんと残すためには表現も大切なんだと気づいたんです。表現の力がなくなったら記録としても困るわけです。撮っていて面白いのはインテリアや建物の装飾などディテールですね。ファインダー越しに見ると周囲の余計なものが整理されるから、より本質が明快になるのでしょう。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2008年7月増大号」に掲載されたものです