このところの芥川賞は、クロウト好みの作品を選んできた。今期芥川賞受賞作・藤野可織『爪と目』も分類すればその類いだろう。
〈はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った〉という書き出しからして面食らう。文章のつながり具合が、なんだか変。が、やがて気がつく。〈わたしは三歳の女の子だった〉。これは成長した娘の視点から父の愛人である「あなた」の行状を語った小説なのである。
 「わたし」の父と「あなた」は父の単身赴任中に知り合い、関係を続けていたが、父の妻すなわち「わたし」の母が死に、「あなた」は「わたし」の家に来た。亡き母とは対照的に「あなた」はよい主婦とはいいかね、一方「わたし」もおとなしい子で何の反抗もしなかったが……。
 「純文学的恐怖作(ホラー)」と宣伝されている作品。本格ホラーを期待した向きには物足りないでしょうね。とはいえ死んだ母が残したブログにハマって母の真似をはじめる「あなた」も、けっして本心を明かさない「わたし」も十分不気味。
 ホラーっぽいのはラストシーンだが、意外にこれはミステリー小説かもしれない! 「わたし」の母の死の真相は最後まで伏せられているのである。作中で唯一まともなのはおそらく「あなた」の母親である。彼女は娘にアドバイスする。〈カウンセリングに通わせなさい、ね。それから、ベランダに出るときにはかならず携帯電話を持って行くこと。ね〉。そう、〈もはやわたしは、ふつうの子どもではなかった。不吉な傷を負ってしまった子どもだった〉。
 母の死後「わたし」はなぜ爪を噛み始めたのか。なぜ異様にベランダを嫌うのか。単に母の遺体を見てしまったからだけだと思います?
 母を亡くし、父と娘だけになった家庭に別の女が入り込む。それを娘が観察する。前回芥川賞の黒田夏子『abさんご』と同じ構図の物語だが、『爪と目』の「わたし」は「信用できない語り手」だ。ご用心!

週刊朝日 2013年9月6日号