――アンティークなカメラがお好きだと思っていましたが
カメラはしまっておく趣味はなくて、使えるカメラしか持っていません。仕事が古物だから、趣味は動くものが好きなんだよ(笑)。でも、人生で最初に買ったカメラは大切に持っていますよ。これぞ私の宝物ですから。スタート35でフィルムはボルダ版、シャッタースピードは1秒とバルブの2種類しかない。買ったのは昭和26(1951)年、中学2年生のときです。価格は800円で、アルバイトでお金をためました。当時は、配給米がまだ粗悪品で石が混じっていた。それでパン皿に生米をあけて、小石を取り除くというバイトがあったんです。白い小石もあったりして疲れる作業なんですが、ひと皿やると1円もらえた。800皿は取ったかなあ。
手に入れたときはうれしくてね、上野の動物園や新橋の浜離宮などあちこち撮影に行きました。高校でも写真部に入った。でもデパートの食堂のウエートレスさんに「モデルになって」とか、ナンパな部員だったな(笑)。篠山紀信さんが高校の3年後輩なんですが、彼の写真は当時から群を抜いてうまかったのを覚えています。結婚して子どもが生まれると、ミノルタSR-1など一眼レフで撮った家族の写真が増えました。3人いるんですが、ひとりにアルバムが50冊ぐらいずつありますよ。しかも現像から焼き付けまで自分でやった。トリミングなんてうまいんだから。(笑)
――いまはステレオカメラにはまっているとか
自分が撮られる側に回ってからは写真の趣味は遠ざかっていたんだけど、2001年に青山のギャラリーで立体写真の写真展があったんですよ。それが面白くて、写真展を企画をした人に手紙を出して撮り方などを教えていただきました。でも撮影は難しいねえ。左右のレンズの距離を、カメラから被写体までの距離の50分の1に設定するんだけど、その調節が微妙でね。フィルム1本撮って、歩留まりは半分だったらよいほうですよ。
それにこのカメラは目立つでしょう。街で撮っていると「何してるんですか」とかよく声をかけられる。「ホンモノ、ニセモノがわかるカメラですか」「ええ、すぐわかりますよ」て答えると、変にみんな納得するのね(笑)。冗談きかねえ世の中になったよ。(笑)
――被写体は?
ずっと挑戦しているのが、飛行機から見た富士山と入道雲です。飛行機から富士山までの距離が目測でだいたい10キロと見て、10キロの50分の1というと200メートル。飛行機の前のスクリーンにそのときの速度が出ていますから、その速度で200メートルを割れば、右目用のカメラで撮影したあと何秒後に左目用カメラで撮ればいいかわかる。しかしこれが何度やっても、うまくイカン!(笑)。距離を電卓で必死になって計算しているうちに飛行機がターと行っちゃう(笑)。
立体写真に向いている被写体は、凹凸がしっかりしているものです。花もきれいだし、平凡な坂とか電信柱も意外といい。ふつうは何ともない被写体が面白くなるのが、立体写真の醍醐味(だいごみ)です。だいたいはカメラを手にぶら下げて、それにフィルムと電池、ブロアーを三種の神器としてバックに入れています。
――デジカメは使いますか?
外国に行くときに持って行くけど飽きますね。陰影の深さとか、やはり銀塩のほうが優れているように思います。「なんでも鑑定団」では応募の際にまず「お宝」の写真を送ってもらうんですが、銀塩写真で撮ったものは百発百中、本物か偽物かその段階でわかる。でもデジカメで撮ったものは、半分くらいしかわからない。そこにデジカメの本質があるんじゃないでしょうか。デジカメは精密で確かですが、物事の真贋(しんがん)を写すことはできないと思います。デジカメブームで銀塩カメラの未来を悲観する人がいるけど、絶対になくなりません! あれがカメラの基本だから。何事も原点というものは残ります。また残らなきゃいけない。銀塩カメラの灯火(ともしび)を消しちゃいけないですよ。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2007年8月号」に掲載されたものです