大津波におびただしい命がさらわれたというのに、まるで玉音放送時代の祖国防衛戦争なんて始めたから死屍累々。その荒涼の中を男は歩く。過去現在未来の並行世界を結んでメビウスの輪状になっているらしい鉄路沿いをとにかく、ここではないどこかへ。
 男は、ただ歩く。個の意識を捨てられない。ガンバレ日本の集団ヒステリーに同化できない。それで男は群れから離れたのだ。流浪難民の、21世紀の「狂人日記」が本書である。葛藤などないと、すべて亡くしたお気楽を装って書くけど大嘘。思い出と雑感を記す散文詩の文体は寂寞と警世の辞を放散する。
 日々行く男の世界は、おおむね暗灰色なのだが時に色が差す。闇に光るゾンビの目玉。放射能の蛍の光、爆弾に焦げる空の黄金色。幻の青い花。シャガール画さながらの美しさに、また寓意を見る。そして旅路の果て。男は、批判精神を眠らせる麻薬を手にする。でも効かない。罵詈雑言の形で炸裂する男の自我。その数々を今日ただいまにトレースするとまさに正論ではないか。めまいを誘う怪作。

週刊朝日 2013年7月5日号