世の中は白か黒かとはっきり分けられるほど単純ではない。悪人は51%悪くて、49%善い。善人は49%悪くて、51%善い。悪人と善人の違いは、わずか2%程度じゃないのか、というのが55年間生きてきたぼくの実感だ。ほとんどのことは白と黒の間、グレーの部分にある。
 「この複雑な世界を、複雑なまま生きることはできないのだろうか」というのが鈴木健『なめらかな社会とその敵』の冒頭の言葉。なめらかな社会とは、ものごとを単純な二元論に還元してしまうのではなく、複雑なものを複雑なまま残す社会である。
 それを夢想に終わらせないために、さまざまな仕組みを著者は提案している。ものの値段の決めかた、選挙のしかた、法律のありかた、そして国家の枠組み。
 すごいのは、なめらかな貨幣システム「伝播投資貨幣PICSY」や新しい投票システム「分人民主主義Divicracy」について、数学的な基礎づけを行ったところだ。ぼくにはほとんどチンプンカンプン。記号Σがあちこちに出てきて、あわてて『もう一度高校数学』(高橋一雄著、日本実業出版社)の数列の章を読み直した。こんな難解な本が売れているなんて!
 ぼくなりの理解では、PICSYとは購買を投資ととらえ、未来についても見すえてお金を払うこと。分人民主主義は、一人一票ではなく、この一票を何分割にもして投票すること。
 そんなことできるのかと思うのだが、コンピュータとインターネットを使えば不可能ではないらしい(東浩紀『一般意志2・0』を連想した)。
 先の総選挙の結果にもやもやした思いを抱き、次の参院選に不安を持っている人は少なくないと思う。民主党はダメだったけど、自民党の政策を積極的に支持したわけじゃないのに……と。この居心地の悪さ、「なめらかな社会」になれば、少しは改善されるのかな。

週刊朝日 2013年5月31日号