「父はハワイアンを日本流にアレンジして流行らせた第一人者なんです。洋楽のロックバンドも好きで、アメリカに渡り、雑誌レポーターをしていたこともありました。アメリカでは『スコット』というニックネームで呼ばれていました。スチールギター好きがこうじて、アメリカの有名ミュージシャンが使っていたギブソン、レスポール、レキントンギターなどのオールドギターの日本人初の輸入販売業もやっていた時代もあります」
その後、「サカタアキオ」の芸名で活動。ステージに立ち続け、75年間の音楽活動を続けていた。
異変が起きたのは6月6日。
「前日まで元気で、5日には家族でお風呂屋へ行っていました。6日に、急に父の体の震えが止まらなくなり、37度以上の熱が出た。食欲もなかったので病院へ行った。もともと、間質性肺炎の疾患があるため、入院した方がいいだろうということになりました」
PCR検査では陰性だったが、コロナ禍の影響で、面会は制限された。長女の知世子さんが画用紙に「きょうは来たけれど会えなくてごめんね。少しずつでもご飯が食べられるようになったら、自宅に帰れるよ」と書いて、看護士さんを通じて渡した。
「悔しいのは、コロナ禍のために父と自由に会うことができなかったこと。それが苦しかった。自宅で母と寝かせてあげたかった」
通夜は7月14日午後6時から東京都板橋区の戸田斎場(せせらぎの間)で、告別式は15日午前9時から同所で行なわれる予定だ。
「父はステージ衣装を着てひつぎに入っています。トレードマークのスチールギターを持っていき、会場にはハワイアン音楽を流し、父の最後の旅立ちのステージにする予定です。生前、ご縁があった方ばかりではなく、音楽好きな人でも参加を歓迎します。たくさんの方々と一緒に父を送り出したいです」
(AERAdot.編集部 上田耕司)