夏目義雄さん(写真はいずれも家族提供)
夏目義雄さん(写真はいずれも家族提供)
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 文豪・夏目漱石の孫娘の夫で音楽家の夏目義雄さんが7月8日、誤嚥性肺炎のため、入院先の埼玉県内の病院で亡くなった。1カ月前の6月8日から入院中だった。享年88。

 義雄さんは1934年1月30日生まれ。14歳の中学時代から米進駐軍のベースキャンプでプロステージに立ち、日本のバンドの草分け的な「坂田あきおとトロピカルキング」を結成した。ウクレレやスチールギターを演奏することで知られ、マルチ音楽プレーヤーとして活躍した。

 妻の沙代子さん(80)は、小説「吾輩はである」「坊ちゃん」などで知られる夏目漱石の孫娘。漱石は妻、鏡子との間に2男5女がいた。二男の伸六の長女が、沙代子さんだ。

 沙代子さんと結婚した義雄さんは、もともとは東京・両国の履物屋のせがれだったという。結婚当初、夏目姓は名乗っていなかったという。長女・夏目知世子さんが説明する。

「父の実家は、ぞうりや相撲取りの履くようなゲタの両国の老舗履物屋でした。母と結婚した当初、『夏目の名前は重い』などと言って、旧姓の『坂田』を名乗っていました」

 いつから、夏目姓を名乗るようになったのだろうか。

「もともと、結婚当初から『夏目になってほしい』と伸六から言われていましたが、父はずっと抵抗していました。古い人間なので婿養子になるのも凄く抵抗があったようです。父は祖父の伸六と仲が良く、伸六が亡くなった時、両親宛てに『できたら夏目と名乗ってほしい』という遺言があったんです。それを受けて、父は夏目姓を名乗るようになりました。母の沙代子も結婚当初は夫の籍に入り、坂田姓を名乗りましたが、遺言通り、夏目になりました

 夏目を名乗ることには相当の覚悟があったようで、子どもたちへのしつけにもそれが表れていたという。知世子さんが続ける。

「夏目家の名前を汚してはいけないと、マナーには厳しかったです。私が髪の毛を染めようとしたら、うるさくお説教されました。『夏目家なんだから、世間から後ろ指をさされたり、ちょっとでも曲がったことだけはするな、夏目家なんだからそれだけの責任がある』と、驚くぐらい厳しい父でした」

 そんな義雄さんは、スマイリー小原や和田弘とマヒナスターズらとも交流があり、今は亡き大御所のミュージシャンたちとも後楽園ホールのステージに立った。

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