一番怖いのは、プーチン大統領が自暴自棄になってしまうこと。また、事実はわからないとはいえ、メディアを賑わせている病気説もあります。仮に病で正しい判断ができない状態に陥っているのに核のボタンを握っているという状況が生まれたら、何が起きるかはわからない。たとえ病気でないにしても、いよいよ追い詰められ、政治生命も一切の権力も失うとわかったとき、プライドの高いプーチン大統領が世界と自国をも道連れにして、最悪の行動に出る可能性もあると思うのです。
じゃあ、失脚すればいいかというと、そう単純なことではありません。今、プーチン大統領が権力の座から下りてしまうと、アメリカから攻撃されると不安に襲われた国民がパニックに陥ってロシアを出国し、難民化する恐れがあるなど、世界が大混乱に陥ってしまう可能性が大きいのです。欧米ですら収束させるのは非常に難しい。イギリスやポーランドなどはかなり強硬な態度ですが、フランスやドイツは「プーチンを追い込んではいけない」という姿勢を取っています。追い詰めた結果、核に手をかけたり、ロシアが混乱に陥ったりするのを危惧しているからです。
特にドイツは、重商主義的な政策をとり、経済的にロシアを孤立させずに対話ができる関係に留めようとしていました。実は、ドイツのメルケル前首相の存在は大きかった。二人ともドイツ語とロシア語を話せ、通訳を解さずにコミュニケーションできたこともあり、プーチン大統領の愚痴を聞いていたという話さえあります。また、2008年にアメリカがジョージアとウクライナにNATOの加盟行動計画を適用しようとした際にも、「ロシアの言い分も理解しなければならない」と火消しに走ったのはフランスとドイツでした。プーチン大統領からすれば、この2国は「自分たちのことをわかってくれている」といったニュアンスを感じていたのでは、とみています。
(取材・文/中津海麻子、取材・構成/内山美加子)
廣瀬陽子(ひろせ・ようこ)
慶應義塾大学総合政策学部教授。博士(政策・メディア)。1972年、東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了・同博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、東京外国語大学大学院地域文化研究科准教授、静岡県立大学国際関係学部准教授などを経て16年より現職。著書に『ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略』(講談社現代新書)、『ロシアと中国 反米の戦略』 (ちくま新書) など