芸歴32年、いま、お茶の間の記憶に残る男として、TV出演急増中の芸人・チャンス大城(本名:大城文章)さん。そんなチャンス大城さんが自らの半生を赤裸々に語り下ろした『僕の心臓は右にある』から、中学生のとき、千原せいじさんにかけられた言葉についてのエピソードを、本文から抜粋、編集して紹介します。
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僕は、14歳の時に大阪NSC(吉本総合芸能学院)に入学しました。僕が入った8期には千原兄弟さんやFUJIWARAさん、なだぎ武さん、バッファロー吾郎さんたちがいました。
NSCの授業は、基本、自分が考えてきたネタを講師の前で披露することです。ネタをやりたい人は、教室の黒板に順番に名前を書いていくのですが、最初の方に名前を書くのは、面白い面白くないにかかわらず、真面目な人、熱心な人と相場が決まっていました。
8期の同期生の中で鮮明に記憶に残っているのは、なんといっても千原兄弟さんです。せいじさんは最初、別な人とコンビを組んでいたのですが、入学して2、3カ月たった頃に解散をして、「弟、連れてくるわ」と言って、たしか6月頃だったと思いますが、ジュニアさんを連れてきたのです。
当時の千原兄弟さんは、いつも黒のパンク・ファッションで固めていて、むちゃくちゃ迫力がありました。黒のバンダナに銀色のチェーン、ふたりとも背がめっちゃ高いのにラバーソウルを履いていました。
僕は、正直に言うと、「千原兄弟みたいなスカした人らは、きっとネタとかせーへんのやろな。まあ、最後の方にタラタラ出てくるだけやろ」なんて思っていたのです。
ところがジュニアさんが現れてから、教室の黒板にはいつも、「1番 千原兄弟」と書いてあるのです。
初めて見た千原兄弟さんのネタを、はっきりと覚えています。それは、犬の目玉をお父さんの目玉と取り換えるというシュールな内容でしたが、これが、バンバンうけて、むちゃくちゃかっこよかったんです。
あの頃から千原兄弟さんは、僕の3000歩も4000歩も先を歩いていました。
あれから何十年もたってから、僕は千原兄弟さんにむちゃくちゃお世話になるのですが、実は大阪NSC8期生の時も、せいじさんにお世話になったことがありました。