写真はイメージ(GettyImages)
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 例えば、僕がある出来事で叩かれているとする。批判的な意見が書き込みという文字で並び、それが可視化されると、まるで大多数の意見のようになってしまう。それが炎上とか言われるんだけど、コメントを書き込む人はネットユーザーの数パーセントしかいないとか言われていますが、可視化された意見は大きくなって、そちらになびいてしまうわけです。そもそも、その炎上は、本当に叩かれるべきことだったのか? みんながみんな叩くべきことだったのか? ということを考えなくなる危険性もある。

 そんな構図の中で、自己防衛するためにも先にYouTubeなどで自分の意見を言う人が増えてしまったのではないかと思った。本来なら、黙っていればいいことでも、自分を守るために先に言ってしまう。自分の利益のため、防御のため、自己主張もあり、なんでも語るようになってきているのはあるけど、そこが、なんかちょっとモヤモヤする。そんなに語らないでよ!

 だから、僕は「ダンマリの美学」が必要なんじゃないかとずっと思っている。YouTuberの誰とかはここでは言わないけれども、表にさらす必要もない余計なことは言わないの!

 余計なことを言わないというのは大人のたしなみだと思うんですよ。大人の流儀ですよね。全然、僕と絡んだこともないのに、「世間をにぎわしているカンニング竹山について語ります」とかいらないって(笑)。そもそもオマエ誰だ? それは、アンタの友達同士で話していろ! 

 こいうことを言っていると「竹山も黙っていろ」と書き込んでくる人がいます。「オマエもテレビで偉そうに語ってんじゃねぇーよ」って言われますが、あれは仕事ですから。出演依頼がきて、コメントを求められて話をしているだけで、自分のTwitterやYouTubeで何か意見を発信したことはないです。

 自ら解説する、語る、が多すぎな世の中に、なんだろう、モヤモヤするというか、ちゃんと説明できないんだけど、この状況が気持ち悪い! 世の中に言いたいのは、ベラベラしゃべらなくていい、ダンマリでいようよ! ダンマリの美学ってもんがあるのよ。自分に関係ないことは、偏った意見を放って、どっちかの味方をしても傷つけてしまう人もいるから黙っておけば!?

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そういう意見をやめておきません?