カンニング竹山さん(撮影/今村拓馬)
カンニング竹山さん(撮影/今村拓馬)
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 いま、自ら語り、解説する動画が多すぎることにモヤモヤしているというお笑い芸人・カンニング竹山さん。そんな世の中だから「ダンマリの美学」も大事で、先日の安倍元首相の銃撃事件でも思ったことがあるという。

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「このニュースについてこう思います」とか、別に公にしなくてもいいんじゃない!? ってことを、あえて、YouTube配信で自分の意見を表現するというのが最近多すぎる。SNSにおける文化なんでしょうけど、なんでみんな、いろいろなことを解説するようになったんだろう。

 しかも、その自分の意見だったり、解説の動画が「緊急」というおかしさ。「緊急で動画を回しています」という風に始まったりするんだけど、そのフレーズもよく分からなくて笑っちゃうんだけど、緊急ってなんなの? 報道記者は全部、緊急で取材してニュースを出していますよね。じゃあ反対に緊急で回してないときってなんなの? 個人的にですけど「緊急で動画回しています」っていうYouTubeとか見ると、笑ってしまうんですよ。

 なんでそんなことやっているかと言えばお金を稼ぐためだとは思う。「緊急で」という言葉を入れると再生回数が上がるのか知らないけど、再生回数が上がるような仕掛けをしているのでしょう。

 そこで思ったのは、「ダンマリの美学」が、もっとあってもいいと思うんですよ。僕はラジオ番組に出演していますが、ラジオは聴いている方たちからメールやTwitterの投稿がものすごく役に立ちます。助かります。でも、聴いている人たちのうちの7~8割はメールもTwitterも送ってこないですよね。7~8割というのは数字の証拠はないけれども、投稿しないサイレントリスナーの方たちもたくさん聴いている。

 一方、YouTubeは配信されると、「応援しています」とか書き込まれて、またその書き込みに対しても書き込みがあったり、書き込まれたことを見ている人もたくさんいる。それがSNSのいいところでもあるんだけど、悪いところでもあるような気がする。悪い側面だと思うのは、文字としてコメントを残した人の意見が世の中の全ての人の意見だと錯覚してしまうところ。

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書き込みが大多数の意見のように錯覚