松田道弘さんは2019年にUターン移住。地元の人の協力で、家庭菜園では1年目から立派な大根が取れた
松田道弘さんは2019年にUターン移住。地元の人の協力で、家庭菜園では1年目から立派な大根が取れた

「理想の移住」を実現させた3組のケースの2番目は、JRの駅員として働いていた時に「地元のために何がしたい?」と問われてUターンを決意、陸前高田市の移住定住の窓口で人を呼び込むコンシェルジュになった男性だ。

【写真】陸前高田の絶景

※記事<<モデル女性と営農男性カップルの「捨てない」生き方 千葉・内房エリアに移住した理由>>より続く

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 岩手県東南端、三陸海岸の玄関口であり、宮城県との県境に位置する陸前高田市。松田道弘さんは、生まれ育った町に隣接するこの町に、2019年、地域おこし協力隊として着任した。陸前高田の北側にあたる遠野市で生まれ、高校卒業までを過ごす。盛岡市内の医療福祉専門学校を卒業し、介護福祉士として働いたあと、義兄の勧めでJR東日本の駅員になった。

 5年間務めた職場で、当時、公私ともに仲のよかった上司に「やりたいことは何?」と聞かれ「岩手のために働きたい」と答えた松田さん。その背景には、2011年の東日本大震災の経験がある。松田さんは震災時、地元・遠野市の施設で勤務していた。遠野市は三陸と内陸の中間に位置していたため、支援拠点などが設置された。市内のNPOや町づくり団体が活動したり、それを市民がバックアップしたりしている姿を間近で見ていたこと、大船渡や陸前高田にボランティアに行っていたことが関係しているだろう。

 上司は、「岩手のために働きたいという思いは、JRの仕事をしていて達成できるのかと問われました。岩手の人のためになりたいなら、町づくりをするために働け、そのためにはまず情報収集から始めろ」と猛プッシュ。

 情報収集をしていると、東京・有楽町にあるNPO法人ふるさと回帰支援センターにたどり着く。ここは、46都道府県の移住情報が集まるサポート施設。岩手県のコーナーでもらったチラシに陸前高田市の地域おこし協力隊があった。

 その後、陸前高田に絞って調べていくなかで見つけた市内の一般社団法人の求人に応募したが、採用には至らなかった。JRに退職する意向を伝えるのは次の勤め先が決まってからにしようと思っていたという松田さん。2月時点で4月以降に働く場所が決まらず、かなり焦ったという。

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Uターンだったから生活の想像はついた