国際交流活動に参加していた時からぼんやりとこの思いがあったのかもしれません。心の整理をしたことで、明確に自分の気持ちに気づくことができました。
■法整備支援の仕事でいざ、ミャンマーに
ただ、私は海外に住んだこともなく、留学経験もありません。そこで弁護士が海外で活動する手段を探し、見つけたのがJICA(国際協力機構)の「法整備支援」の仕事でした。ただし、募集は不定期、募集の数自体も多くありません。
「最初に募集が出た国に応募をしよう」と、決めていました。半年後に募集が出たその国が「ミャンマー」だったのです。
準備期間を経て、ミャンマーに赴任したのは弁護士5年目、31歳のときです。任期は2年。当時のミャンマーは民主化の最中で、経済は右肩上がり、国全体が活況に満ちていました。
反面、法律の整備が急速な経済発展に追いついておらず、海外の投資を呼び込むためには、経済分野の法律をきちんと作ることが早急に求められていました。
現地では、法務省から派遣された日本人検察官と仕事に取り組みました。ミャンマーの法律家と話し合いをするときは専門の通訳が入るのですが、日本で使用している法律用語がミャンマー語にないことも多く、そこをどう言い換えるかには頭を悩ませました。
一方で日常会話では英語を使うことが多く、マチ弁時代に趣味で通っていた英会話スクールの経験が役立ちました。また、仕事はもちろん、今まで知らなかった文化に触れたり、食べたことのない料理を食べたりという毎日が新鮮で、楽しいものでした。
ミャンマーでの成果の一つとして、民事調停制度の整備があります。日本では100年以上の歴史がある制度ですがミャンマーになく、紛争が長期化する原因の一つになっていました。調停制度の整備は成功体験として、とても大きな自信につながりました。
■企業の夢をサポートする海外業務の仕事に充実感
ミャンマーでの任期を終えた後はアメリカの大学院(ロースクール)へ。目的の一つは「コモン・ロー(Common low)」をきちんと学ぶことでした。世界の法体系はドイツやフランスで採用されてきた「シビル・ロー(Civil law)」とアメリカやイギリスで採用されている「コモン・ロー(Common law)」の大きく2種類があります。