「海外で働きたい」 と一念発起して「マチ弁」から世界へ一直線――。中島朋子さんは弁護士になって5年目、国際協力業務のためにミャンマーに赴任しました。その後、アメリカの大学院(ロースクール)へ留学し、ニューヨーク州弁護士資格を取得。帰国後は、国際業務を扱う日本の大手法律事務所で働いています。好評発売中のアエラムック『大学院・通信制大学2023』では、中島さんにインタビューをしました。
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私が弁護士になろうと決めたのは大学3年の時です。行政学のゼミナールで国民にとってよりよい行政のあり方を研究する中で、民間人でありながら国や行政にも関与できる弁護士の仕事に興味を持つようになりました。このように大学では政治学を中心に学んでいたため、卒業後は法科大学院3年コースに進みました。
司法試験合格後は司法修習を経て、愛知県の東三河地域にある法律事務所に入りました。地域に弁護士が少なかったこともあり、遺産相続から交通事故、離婚調停や裁判員裁判、刑事事件までいわゆる「マチ弁」として幅広い仕事をやらせてもらいました。
■気持ちを整理したらやりたいことが明確に
一方、公益活動の一環として、所属している愛知県弁護士会の「国際委員会」で法律家間の国際交流のお手伝いをすることになりました。
日頃の業務から一番離れたことをやってみよう、と選んだ活動ですが、外国人の弁護士と交流をしたり、ディスカッションの機会があり、とても刺激を受けました。
「海外で働くこと」が現実味を帯びてきたのは弁護士になって3年ほどたった頃。このままマチ弁の仕事を続けるべきか悩んでいた時、友人から、
「やりたいことをやったほうがいい」
と言ってもらい、真剣に先のことを考えようと思いました。
「でも、自分は何をやりたいのだろうか?」
すぐには答えが出ません。そこでやりたいことをノートにたくさん書き出してみました。そこには「おいしいケーキを食べたい」というささいなものも。優先順位をつけながら、そうでないものを消していくと――。残ったのは、「海外で働きたい」だったのです。