~声出し応援解禁になる日を待ち続ける
コロナ禍における応援ルールの現状を鑑みて改めて感じたのは、今後の応援への懸念だった。このまま声出し応援解禁ができなければ応援自体の存在価値が変わってくる。
「演奏、手拍子の応援も選手には伝わりますが、一番は声だと思います。感情が高まると声は自然に漏れてしまいます。高校野球の予選などもそうですが、盛り上がってくるとスタンドから自然と声が出てしまい、応援団が慌てて静止する場面もあります。こんな状況が続くのは選手、スタンドの両方にとっても健全ではないと感じました」
「MLBのオールスターゲームを見ても、スタンドのファンはマスクなしで声を出して楽しんでいます。何が正解かはわかりません。でもどこかのタイミングで何か方法がないのかなとはずっと考えています。声出し応援ができないのはつまらない。NPBの観客動員が以前の状態に戻っていない理由の1つだとも思います。しかし、感染のリスクを脅威に感じている人も多くいることも事実です。ストレスを感じずに思い切り応援できる日が早く戻ってきて欲しいです」
「応援されて嫌な人はいない。プレーしている選手は心強いはずです。応援している人たちは自らの思い、気持ちを伝えられる。そして日常での様々なことを忘れ大声を出して笑顔になれる。こんなに良いことはない。応援って素晴らしい。今後も全力で関わっていきたいと思います」
応援に人生を捧げた男。スポーツ応援の先行きを案じている一方で強い思いは変わらない。
ジントシオ氏が今後、どのような応援を作り出してくれるのかが楽しみだ。これからも斬新な応援スタイルを提示してくれるのは間違いない。(文・山岡則夫)
●ジントシオ(作曲家)
1980年5月18日、東京都出身。1993年(当時中学1年生)で日本ハムファイターズの応援団員となり、14歳にして当時チームを代表する選手応援曲を手がける。その後、高校入学後は千葉ロッテマリーンズ応援団員として楽曲制作に尽力。高校卒業後、活動の場を韓国へ移す。韓国時代はロッテジャイアンツ応援団に所属しながら、スカバンド「Lazy Bone」のトランペットを担当しプロミュージシャンとして活躍。2002年帰国後、2002年~2004年は千葉ロッテマリーンズの応援活動。一時応援の世界から離れるも2010年千葉ロッテマリーンズ応援団長に就任(2015年まで)。2018年から2021年まで4年間東北楽天ゴールデンイーグルスの応援プロデューサーとして活動した。2016年以降、プロ野球という枠組みを超え高校野球、大学野球 さらにはもっと広いスポーツ全般(Jリーグ、Bリーグ等)においての『音楽』『応援』を主体とした制作活動へと活躍の場を広げる。2021年7月ロケットミュージックより吹奏楽用譜面「ジントシオ作品集vol.1,2」を発売。