「いつか私もこんなカッコいい仕事をしたいなあ」と無邪気に夢見ていたものです。いやあ、理想をこれでもか!と大きく膨らませていた10代ですね。はい、若かったです。
■「カッコいいDJ」の型をなぞったDJの末路
そんな私がラジオDJとしてのキャリアをスタートさせたのは、大学3年生のとき。思い切って受けた大阪のFM802のラジオDJオーディションに合格したのがきっかけです(前著『いい空気を一瞬でつくる─誰とでも会話がはずむ42の法則』でどうぞ)。
この頃の私には、夢だったラジオDJになれた喜びはもちろんですが、「1日も早く憧れの先輩DJに近づきたい」「一人前にならなくては!」という焦りがありあまっていて、高速で空回りしていました。
そして「これだよね、ラジオDJって」という「定型文」ばかりをとっかえひっかえ並べていったのです。そう、まさに「FMしゃべり」。
初めのうちは「結構、いい感じ」なんて思っていました。ですが、1年も経つと「あれ、なんだか窮屈だな」と行き詰まってきます。そりゃそうですよね。だって、実態もよく知らない「カッコいいDJ」の理想に背伸びして自分をはめ込んでいただけですから。自分が日ごろ使っている言葉で話していなかったのです。
定型パターンを使い回して、いよいよ手持ちの言葉がなくなってくると、「さっきも同じこと言っちゃったし……」とスムーズに言葉が出なくなってきます。自分であって自分でないような、「他の誰かがペラペラ口だけで話している」という違和感が大きくなっていきました。
実際、新人時代の放送を聞き直してみると、人のものをコピペしてしゃべっているようで、完全に上滑り状態。極端に言えば、台本をやたらカッコつけて読んでいるけれど、棒読み。リスナーにも、それは伝わっていたでしょう。
とまあ、なんとも情けない告白になっていますが、でもこの「型」を大いに真似て「ダメだこりゃ」と行き詰まった失敗があったからこそ、「じゃあ、自分の言葉って、自分の話し方ってなんだろう」と真剣に掘り下げて考えるようになりました。