参議院選挙への出馬が何回も噂された「アルピニスト」野口健。石原慎太郎、小池百合子ら多くの政治家との親交も知られている。なかでも元首相の橋本龍太郎とは、エベレスト登山を契機に育まれた、年齢を超えた不思議な関係だったという。野口健のマネージャーを計10年務めた小林元喜氏の著書『さよなら、野口健』(集英社インターナショナル)から一部抜粋して紹介する。
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野口はターゲットを二〇〇四年の参議院議員選挙に定めた。被選挙権を得る三〇歳になっている年だ。二七歳になる年からエベレストの清掃登山を四年行えばちょうど三〇歳。八代英太がテーマを「福祉」と定めたように、自分のテーマは「環境」とした。その実現のためにお近づきになる必要がある人間がいた。それが橋本龍太郎だった。
■橋本龍太郎との面会を前に
どういうことか。これはまず第一に雅昭(注・野口健の父、エジプト、イギリス、イエメン各国の大使館に勤務)の影響が大きい。キャリア外交官として国政の舞台裏を知り尽くす雅昭が政治家として特にリスペクトしていたのが、三人の内閣総理大臣経験者、宮澤喜一、中曾根康弘、そして橋本龍太郎だった。
その三人の中の誰だったら接点をつくることができるか。それは登山家でもある橋本龍太郎だった。剣道のイメージが強いが、橋本は登山家でもある。日本山岳ガイド協会の会長を務めたこともあり、エベレスト遠征隊の総隊長としてヒマラヤも訪れている。
岳龍会への入会はその第一歩だった。二五歳になった野口は会員となり、会合のたびに出席する。遠くで本物の橋本龍太郎が話している。まだまだ遠い。ただ、接点ができたことは確かだ。今度は七大陸最高峰登頂に成功した後に出版した自著『落ちこぼれてエベレスト』を贈る。すると、橋本本人から返事がきた。この時から手紙のやりとりが始まる。それを機に橋本事務所に面会を申し込む。だが、事務所側のガードが堅く面会の機会はなかなか訪れない。
だが、こんなことであきらめる野口ではない。野口はエベレスト清掃登山を通じて懇意にしていた元ネパール大使に頼み込み、橋本とのアポイントをとりつける。
チャンスは一回。この一回で橋本の心をわしづかみにしないといけない。相手は元内閣総理大臣だ。間違いなく面会者は「先生、先生」と媚びへつらう人ばかりだろう。だったら自分は逆をいく。そう野口は考えた。
面会が実現するはるか前から、野口にはある策略があった。それは、一九八八年の橋本龍太郎が総隊長を務めたエベレスト登山隊が残してきたゴミを持ち帰り、橋本に突きつける、というものだった。だからといって、食料品や缶詰のゴミでは失礼なことになる。プレゼントにもなり、絵にもなる。そんなゴミがエベレストには散乱していた。それは、使い終わった酸素ボンベだった。