1対4のトレードから2年後の88年オフ、再び1人対複数の大型トレードが話題を集めた。

 ダイエー・門田博光とオリックス・白井孝幸、原田賢治、内田強の1対3トレードだ。

 40歳の門田に対し、オリックスの3人は、いずれも若手・中堅クラスで、白井が22歳、原田が25歳、内田が27歳だった。

 トレードが吉と出たのは、捕手の内田だ。87年シーズン中に中日から阪急に移籍し、藤田浩雅に次ぐ第2の捕手になったが、88年は中嶋聡の成長で3番手となり、出場機会が減っていた。

 だが、ダイエーでは1年目の89年から吉田博之に代わって正捕手の座を獲得。活躍期間は2年余りと短かったが、地元・九州で花開いた。

 一方、阪急時代のドラ1右腕・白井は1軍登板のないまま、半年後の89年6月に2対2の交換トレードで中日に移籍。阪急時代に通算7勝の右腕・原田も九州出身ながら、移籍後は1勝もできず、わずか3年で引退と明暗を分けた。

 今度は1対2の交換トレードを振り返ってみよう。

 野球人生で2度のトレードがいずれも1対2だったのが、田尾安志だ。

 まず中日時代の84年オフに西武・杉本正、大石友好との交換トレードが成立。人気選手の放出はファンに大きなショックを与え、トレード撤回を要望する署名運動まで起きたが、トレード自体は両チームにとってまずまず成功だった。

 杉本は86年から2年連続二桁勝利、大石も第2の捕手として貴重なバイプレイヤーになった。

 西武移籍1年目に3番を打ち、リーグ優勝に貢献した田尾だったが、今度は日本一になった直後の86年オフ、前田耕司、吉竹春樹との1対2トレードで阪神へ。

 阪神の5年間で4試合しか登板できなかった前田は、左腕が不足していた西武で登板機会を増やし、吉竹も阪神時代同様、外野の準レギュラーとして長く活躍した。

 同じ1対2トレードでも、「1」が期待外れだったのに、「2」が活躍した“逆転現象”もある。

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複数選手を獲得したチームが“勝ち組”に