巨人から近鉄移籍後に才能が開花した吉岡雄二(写真は楽天在籍時)
巨人から近鉄移籍後に才能が開花した吉岡雄二(写真は楽天在籍時)
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 プロ野球のトレードは、1人対1人、2人対2人のように、同人数の選手を交換するパターンが多いが、時には1人対複数の変則トレードが成立することもある。

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 この場合、「1人」のほうは、ほとんどが超一流の実力者とあって、移籍後にどんな成績を残したかは、ファンも記憶しているはずだ。これに対し、「複数」組の中には、人知れず消えていった選手もいる。そんな彼らの“その後”を追跡してみた。

 まず“世紀の大型トレード”として今も語り継がれているのが、1986年オフのロッテ・落合博満と中日・牛島和彦、上川誠二、平沼定晴、桑田茂の1対4トレードだ。

 三冠王を3度獲得し、2年連続50本塁打以上を記録した球界ナンバーワンの実力者をトレードで獲得するからには、当然1対1や1対2では収まらなかった。

 当初移籍が有力視されていた巨人も、若手投手2人プラス野手1人の1対3のトレードが基本線だったといわれ、最終的にそれを上回る条件を提示した中日に軍配が上がった。

 中日の4人のうち、84年に最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど、主に抑えで活躍していた牛島は、移籍1年目から2年連続で最優秀救援投手に輝いたあと、89年は先発として自己最多の12勝を挙げたが、その後は血行障害や肘痛など故障が相次ぎ、32歳の若さで引退した。

 84年に打率.309をマークした上川も、中日時代と同じ正二塁手として、89年に12本塁打、43打点を記録するなど、名脇役ぶりは健在だったが、91年以降は堀幸一の台頭で出番が減り、これまた33歳での早い引退となった。

 平沼も中日時代同様、中継ぎとして長く活躍し、91、92年に2年連続で40試合に登板。89年には清原和博(西武)に死球を与えた直後、バットを投げつけられ、ヒップアタックされる乱闘事件で有名になった。96年に3対3のトレードで再び中日へ。4人の中で唯一現役中に古巣復帰をはたしたばかりでなく、西武時代の98年まで最も長くプレーを続けた。

 桑田はトレード直前の86年に25試合に登板し、プロ初完投勝利を含む2勝を挙げていたが、ロッテではほとんど活躍できず、わずか2年で引退。皮肉にもトレードで野球人生が暗転してしまった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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