バックパッカーの神様とも呼ばれる旅行作家が、世界を歩き、見て悩む連載「「下川裕治のちょっとニュースな悩み旅」。今回はバングラデシュの難民キャンプの現場から。
「バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプにいたはずの人が続々帰ってきています。もともと市内で商店を営んでいた人たち。難民キャンプでなにかあったんですか」(小学校教諭のRさん/45歳)
こんな話が、バングラデシュとの国境に近いミャンマー側のマウンドーから届いた。
難民キャンプはバングラデシュ南部にある。その中心都市コックスバザールで話を聞いた。この街には、難民に関わる政府系オフィスや支援NGO団体のオフィスが集まっている。誰もが口にするのは、世界各国から寄せられる援助額の減少だった。
あるNGO団体の現地責任者はこういう。
「支援物資の配給まではできるが、援助額が少なく、医療や教育といった支援は限界にきている」
ミャンマーからバングラデシュへのロヒンギャ難民の流入は1970年代の後半からはじまっていた。2012年以降は、ミャンマー内での仏教系住民との衝突が相次ぎ、17年にはさらに対立が深まり、大量の難民が国境を越えた。
バングラデシュ政府の難民救済・帰還委員会事務局によると、現在、バングラデシュ南部の難民キャンプは7カ所。隣国ミャンマーから逃れてきたロヒンギャ難民が収容されている。その数は、最大規模のクトゥパロンキャンプを含め100万人以上といわれている。
新型コロナウイルスにも見舞われ、ミャンマー国内では軍によるクーデター。難民の帰還はますます難しくなってきたといわれていたのだが……。
そんな状況が続くなかでの援助額の減少。17年当時に比べると半減しているという。
ヨーロッパのある国のNGO団体で働くKさん(38)はリストラの波を受けている。
「17年には100人以上いたスタッフは、昨年は37人に減らされた。そしていまは13人になった。僕もいつ失職するかわからない。支援が減り、僕らへの給料が払えないんです」