そんな不安もあったが、インカレは50m、100m自由形で2冠。4×200mリレーでも3位に貢献し、主将として迎えたインカレの役割は十分に果たした。ただ、記録は思うようなものではなく、到底池江自身が納得できるものではなかっただろう。

 だが、それはあくまで記録的な見方だ。身体を見てみれば、背中側や下半身はまだまだ発展途上だが、上半身の前側、特に肩周りは随分としっかりしてきた印象だ。その甲斐があってか、1ストロークの力強さは増している。だからこそ、急なスピードアップにも耐えられるのだろう。

 とちぎ国体の100mのレースは、前半を27秒19でターンして後半は27秒57と、100mのスプリントレースとは思えない展開を見せた。通常は、優勝した池本凪沙(イトマン東京/中央大学)のように、前後半でだいたい1~2秒のタイム差が生まれるものだ。事実、4月の日本選手権で53秒83で泳いだときは、前半が26秒21、後半は27秒62で、そのタイム差は1秒41である。

 ただ単純に前半をゆっくり泳いだからといって、後半をほぼ同じタイムで泳ぐのは至難の業。それをやってのける勝負の嗅覚というのか、“仕掛ける”タイミングを嗅ぎわける能力の高さが池江が池江たるゆえんでもある。そして、その仕掛けに耐えうるだけの身体能力を取り戻しつつある、ということもこのレースからは見て取れる。

 だが、メンタル的にはどうだろうか。インカレまでの練習は順調だっただけに、捻挫によるトレーニング中断は、気持ちが切れるのには十分だっただろう。国体でも、どこか記録や勝負への執着が薄れていた。それはコメントからも見て取れる。

「予選が終わったあと、優勝は狙っていないとコメントしましたが、やっぱり口にするとそれが現実になっちゃう。悪い方に現実になってしまったというか。自分の現状を見ても優勝は難しいと思って泳いでしまっていました」

 池江は復帰してから、誰よりもひたむきにトレーニングに励んできた。今までの自分に早く戻りたいという気持ちと同時に、焦ってはいけないという気持ち。ライバルたちの活躍を見て、もっと頑張らねばと、誰よりも自分を追い込んできた。だから復帰後1年で東京五輪の切符を手にし、すでに自由形とバタフライのスプリント種目では、国内トップの座を奪還できたのだ。

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