お寺や博物館で出会ったことのある仏像。如来、菩薩、明王、天部……それぞれの姿かたちが伝える仏像のメッセージを学べば、仏像の味わい方もきっと変わってくるはず。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 23 仏像と古寺を愉しむ』では、正しい仏像の見方を特集。ここでは「菩薩」をひもとく。
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菩薩は、「菩提薩た(※「た」は土ヘンに垂)」の略語で悟りを求めて修行している人という意味がある。悟りを求めつつ、それぞれに応じた救いの手を差し伸べてくれる仏像で、菩薩は慈悲の具現化ともいう。その表現は、釈迦が出家する前の王子だったころの姿といわれる。そのため冠をかぶり装飾品を身に着けている姿となっている。
仏像を見て、胸飾りを着けたり、手に何か物を持っていたら菩薩と判断できる。菩薩の中で最も多く制作されたのは観音菩薩だ。観音菩薩は、救ってほしい人が、救ってもらいたい人の姿に変身して現れるといわれる。その姿の数は33あるという。よく秘仏の観音像が33年ごとに開帳されたり、京都の三十三間堂の33も観音菩薩の変化数に由来している。
千手観音や十一面観音は
観音菩薩の変化した姿
観音菩薩の基本形は、聖観音という姿だ。一般的に上半身は衣を着けず、天衣というショールのような布を肩からかけ、下半身には裙あるいは裳というスカート状の布を巻いている。頭部は、髪を結い上げ、冠などを着ける。この冠の正面に小さな仏像、化仏を表現するが、これは阿弥陀如来の化仏であると経典には記されている。そして、この姿を基調にして、千手観音、十一面観音、如意輪観音などが制作された。
千手観音菩薩像は、初めは千本の腕を表現していたが、平安時代からは前の2本以外に左右に40本の腕、計42本で表現するようになる。これは1本の腕が25の世界を救うということから40×25で千という発想になり、前の合掌する腕と合わせて42本の腕で制作されることが通例となっていく。十一面観音は本面の上に11の面が表現される。前と左右の9面が憤怒の表情、真後ろの1面が大爆笑面、頭頂の面は如来の顔である。この如来の顔がポーカーフェイス、愛想のない顔なので、仏頂面の語源になったといわれる。