その後、ズレータは一塁を8試合守った以外は、すべてDHで起用され、67試合で13本塁打、43打点を記録。もっぱらバットでチームの優勝に貢献した。

 このズレータ以上にザル守備だったのが、67、68年の2シーズン、大洋に在籍したディック・スチュアートだ。

 メジャー通算228本塁打の大砲も、一塁守備ではエラーを連発し、「鉄のグローブを持つ男」などと酷評されたほど。大洋入団後も、投手泣かせの凡ミスを繰り返していた。

 67年5月6日の巨人戦では、初回に三塁手の送球を見事捕球失敗し、先制点をプレゼントしたあと、4回無死満塁のピンチで、柴田勲の一塁右へのゴロを捕球する素振りも見せずに抜かれてしまい、三原脩監督を「あれは併殺打ですからね」と嘆かせた。

 さらに次打者・土井正三の一ゴロを処理したまでは良かったが、ベースカバーに入った投手の稲川誠にトスするタイミングが遅れ、まさかの一塁セーフ。巨人・川上哲治監督を「スチュアート絡みで(初回と合わせて)3点を貰ったのには助かった」と喜ばせた。

 結果的に大洋はこの3失点が祟って3対5で敗れた。にもかかわらず、“戦犯”のスチュアートは「(初回は)自分のエラーだったかもしれないが、あのときちょうど陽がかげり、ボールが見づらかった。(4回の)柴田のも見づらく、あれはヒットだろう。僕はヒットを打つために日本にやって来たんだ。だから、エラーで気になることはないよ」と反省ひとつせず、お気楽そのもの。来日1年目に33本塁打を記録しながら、2年でクビになったのは、プロにあるまじきザル守備が災いしたようだ。

 連続エラーというと、内野手がやらかしたイメージが強いが、外野手でありながら、3連続エラーという珍記録を作ったのが、西武時代の駒崎幸一だ。

 84年8月12日に札幌円山球場で行われたロッテ戦、1対2で迎えた5回、西武は先発・東尾修がつかまり、打者11人で7点を失ったが、この大量失点をアシストする形になったのが、センターを守っていた駒崎だった。

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草野球でもレアな“連続エラー”