18年、再びコルチャを訪ね、小さな路地で人懐こい少年を撮影していると、手招きされた。街の中心部に低い塀に囲まれた場所があり、そこに粗末な家が3軒建っていた。その一つが少年の家だった。
扉を開けると、暗い部屋の中央にはまきストーブが置かれ、壁際にはベッドが並んでいた。そこに寝ていたのがこの家の主、エドワルドだった。彼は突然の侵入者に怒ることもなく、いすを勧め、たばこに火をつけた。
「それからエドワルド一家とはとても仲よくなって、夕方になると彼の家を訪ねるようになりました。寿町もそうなんですけれど、彼らといっしょにいると、どこか居心地がいい。ちょっと解放された感じがする。『これでいいんだ』みたいな」
■ドキュメンタリーではない
コルチャの町外れには小さな川が流れていた。
「橋を渡ると、そこはまさしくロマの土地というか、大きなごみ集積場があって、そのまわりに本当に貧しいロマの小さな家がぽつりぽつりと建っていた。そういう人たちを訪ね歩いて撮影した」
彼らは親しいファミリー同士で小さなコミュニティーをつくって生きていた。
「そこにはある意味、彼ららしい暮らしがありました。とても人間らしい、というか。彼らの暮らしは不思議です」
ロマを撮り始めてから彼らに関するさまざまな本を読んだ。
「でも、いまだにわからないことだらけです。でも、ぼくはロマのドキュメンタリーを撮っているのではなくて、ぼくとロマの人たちとの関係を撮っているだけなので、わからなくてもいいかな、と思っています」
かつて「謎の国」だったアルバニア。ところがいま、急速に観光開発が進んでいる。
「コルチャの中心部には小さな広場があって、エキゾチックな中世っぽい雰囲気があった。そこに開発業者が目をつけたらしくて、町並みはそのままなんですけれど、建物がホテルや土産屋にどんどん変わっていった。ロマはほとんどいなくなった。多分、追い出されたのでしょう」
ロマにとってアルバニアは住みづらい国になりつつあるのかもしれないと、小島さんは語る。
「お金社会がすごい勢いで押し寄せてきた。アルバニアのロマはあまりお金がなくてもなんとなく暮らしていけたんですけれど、そうできなくなって、ほかの国のロマと同じように物乞いをしたりして生活するようになったら嫌だなあ、と思います。この人たちとだんだん会えなくなっていくと思うと寂しいです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】小島一郎写真展「ROMA」
OM SYSTEM GALLERY(東京・新宿) 9月29日~10月10日