――なるほど、家康と輝元の人と人との戦いが、本作の読みどころなのですね。
合戦は人と人との戦いです。それまでの人生で培った経験と知識をぶつけ合うことで勝敗が決します。家康はもちろんですが、輝元は輝元なりに学んできており、それを結実させる場が関ヶ原だったわけです。しかし権謀術数渦巻く世界で生きてきた家康に、輝元は一歩も二歩も及ばなかったわけです。
――本作では徳川家康もさることながら、毛利輝元も人間臭く描かれています。
祖父の元就に憧れ、それを乗り越えたいという野望を持つ輝元ですが、最初から殿様として育てられ、4人の宿老によってすべてを決められてきたので、誰かの意見に引きずられる傾向があります。その点、子どもの頃から戦国の荒波にもまれてきた家康とは、権謀術数の練度が違うわけです。それが如実に出てしまったのが、関ヶ原の戦いなのです。
――伊東さんの考える関ヶ原の戦いとは、端的に言えばどういうものだったのでしょうか。
秀吉は駆け上がるようにして天下を取ったことから、当初の豊臣政権は軍隊にすぎず、政権の体を成していませんでした。そこでひとまず弟の秀長と自分のブレーン役の千利休を表と裏の窓口にして、武将たちから上がってくる訴訟や苦情に対応していました。それと並行し、石田三成ら奉行を中心にした平時の統治体制を築いていったわけです。しかし従来の秀長と利休の役割を否定するわけにもいかず、二人の位置づけは変わりませんでした。そうなると奉行たちが「法の下での平等」「法による秩序の維持」を掲げて決定したことでも、裏ルートで口を利かれて覆されてしまうことが、たびたび起こったのです。
その後、秀長は病死しますが、三成らが利休排除に動いたのは自然な流れでした。しかしここで政権のガス抜き役だった二人を失ったことで、武断派大名たちの不満が募ります。彼ら武人は自分の武功を過大評価するので、常に不満を持っています。その不満の持っていき場がなくなり、その場所に家康に居座られてしまうのです。秀吉が生きているうちは何とかなったのですが、その死後、家康を排除しない限り、豊臣政権は成り立たないところまで、三成たちは追い詰められます。そこで三成たちが毛利家の力を借りて起こした戦いが、関ヶ原の戦いだったというわけです。