――では、東軍の思惑はどうだったのでしょう。
家康は受け身なので、西軍の出方次第という側面があったと思います。西軍の挙兵後も、家康が長く江戸にとどまっていたことから、それが分かると思います。実際は自ら率先して西上すべきだったのでしょうが、それは結果論で、その場にいたら、豊臣大名たちがこぞって自分に味方するなど考えられなかったでしょうね。もしかすると長期戦を想定していたかもしれません。それが豊臣大名たちによって岐阜城が容易に落とされたと知り、また小早川秀秋が確実に味方するという確信を得たので、家康は東海道を駆け上るのです。
――関ヶ原の戦いから、われわれが学べることは何でしょうか。
何事も楽観的に捉えないということです。輝元や三成はすべての情報を自分たちに都合よく解釈しました。「福島は味方になるだろう」「岐阜城は容易に落ちないだろう」「家康は江戸を動けない」「小早川秀秋は味方のはず」といったことです。一方、家康は常に悲観的です。だから何事にも慎重で、多様なコンテンジェンシー・プラン(緊急時対応計画)を持っていました。人生とは思惑違いや失敗があっても、そうなった時のことを事前に考えておくことで、「でも大丈夫」となり、余裕が生じてくるのです。
――最後に読者へのメッセージをお願いします。
『天下大乱』は伊東潤の戦国小説の集大成的作品です。最新の研究成果をベースに、迫真の人間ドラマとして仕上げました。『武田家滅亡』でデビューしてから15年、その到達点が本作です。この力強い人間悲喜劇を、一人でも多くの方に読んでいただきたいですね。
(構成/朝日新聞出版編集委員・長田匡司)