中谷事務所から大野氏に送られてきたという「シフト表」。画像を一部加工しています
中谷事務所から大野氏に送られてきたという「シフト表」。画像を一部加工しています

 出産予定日の昨年8月末は、ちょうど8月22日投開票だった横浜市長選の時期と重なっていた。当時、立憲民主党の国会議員、地方議員らは総がかりで駅頭活動やビラまきなどに動員されていた。大野氏も、7月10日までは、駅頭でのビラまきを行っていたという。

「シフト表を見ると、休みに入る初日の昨年7月14日から始まり、21日、28日、そして、市長選告示前最後の水曜日である8月4日までの毎週水曜、計4回を私が担当することに割り当てられていました。産前6週から臨月の時期にあたるにもかかわらず、です」(同)

 その後、大野氏は産後8週で議会に戻ったが、ちょうどその頃は、昨年10月に行われた衆院選と重なっていた。中谷氏も小選挙区から立候補しており、地元議員として、大野氏も中谷氏の支援活動をすることになった。

「市長選や衆議院選に関しては、私が活動できない分、私の支援者の方たちがポスター貼りやポスティング、電話かけなどを精力的に行ってくれました。私自身は、産後8週の時期で体が回復しておらず、他の議員と同等の活動はできませんでした。駅頭活動では、1回だけ、途中で帰ったことがあります。駅頭活動に参加した際には、『まだ産後間もないのだから、外を出歩いたり長時間駅頭に立ったりするのは体に良くない。中谷さんに言ってあげようか?』『この時期に無理して動いて、その後ずっと不調を抱えることになる人も多いんだから、無理してはだめよ』など、私を気遣ってくれる方が多くいらっしゃいました」(同)

 結局、中谷氏は小選挙区では敗れたが比例で復活し、衆議院の議席を守った。

 こうした経緯があった中で、冒頭の「公認問題」につながってくる。

 来年4月には統一地方選が予定され、地方議員も改選期を迎える。大野氏も再選を目指して立憲民主党から出馬するつもりで、今年3月、選挙区の総支部長である中谷氏に公認申請書類を提出した。

「ところが、総支部は私に知らせることなく私の書類を県連に上げず、1次公認として党本部に上申する人を決める県連常任幹事会の数時間前まで、そのことを私に知らせなかった。それにより、1次公認を得る機会を奪われたのです」(同)

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大野氏に課せられた「年次リポート」