そして9月13日の巨人戦(神宮)で2ホーマーを放ち、1964年に王貞治(巨人、現ソフトバンク球団会長)がマークして以来、日本選手は誰も届かなかった55号に到達。その後は60打席ノーアーチという“産みの苦しみ”を味わいながらも10月3日のDeNAとのシーズン最終戦、最終打席で神宮のライトスタンドへ特大のホームランを叩き込み、ついにシーズン56号の日本選手新記録。打率.318、134打点で史上最年少の三冠王も獲得し「いろんなプレッシャーはありましたけど、それもすべていい形でこうして終われてすごく嬉しいですし、また1つ自分の中で成長できたかなっていうふうに思います」と語った。

 だが、その「村神様」も日本シリーズではオリックスの投手陣に抑え込まれた。第1戦で追撃のソロ本塁打を放ち、第3戦では押し出し四球と2点二塁打で3打点を挙げたものの、その後の3試合はノーヒット。第7戦の8回に17打席ぶりの安打となるタイムリーヒットを打つが、四番としてチームを2年連続の日本一に導くことはできなかった──。

 日本シリーズ敗退から4日。11月3日に神宮外苑で行われた秋季練習に姿を見せた高津監督は、シリーズ終了後の数日間を振り返って「正直言うと悔しすぎて、シーズン中もあんまり熟睡はできなかったですけど、この期間もなかなか寝れなかったですね」と率直な心境を吐露した。

 悔しい思いを味わったのは、高津監督だけではない。日本シリーズ終了後に「多くの方々にたくさん期待されたにもかかわらず、期待に応えられなかったです。さらに努力していきたいと思います」とのコメントを残した村上は、その筆頭格だろう。彼はこれまでも何度も悔しい思いをしながら、それを糧に成長を続けてきた。

 ルーキーイヤーは一軍で初打席初本塁打の衝撃デビューを飾った後、13打席ノーヒット。2年目は36本塁打、96打点で新人王に輝くも、打率.231、184三振はいずれもリーグワーストだった。初めて本塁打王となった昨季も、打点は巨人・岡本和真に「1」届かずにタイトルを逃がしている。バッターなら誰もが夢見るようなシーズンを送った今年、最後に味わった悔しい思いは、村上をさらに成長させることはずだ。

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