■対ロの歴史長い日本が主導権を
東郷:ドンバスはもとより、南部のザポリージャ州とヘルソン州のウクライナ軍が奪還した地区にも、開戦後に親ロシアの立場をとったロシア系住民がいる。その人たちはウクライナから見れば敵国協力者ですから、その後どんな目に遭ったのか。この戦争の最も暗い部分の一つになると思います。
伊勢崎:大変重要な指摘です。復興期に民族間の和解がいつも課題になります。過去の恨みから悲劇が起きるのです。なぜミンスクIIが破られたのか、きちんと分析しなければならない。やはり、それなりの規模の監視団を入れないと、責任を持った再建はできません。
東郷:武器のエスカレートも懸念されます。ドイツは主力戦車のレオパルトIIを供与するそうですが、ドイツに国土を蹂躙(じゅうりん)された第2次世界大戦の「独ソ戦」を想起し、ロシア国民の背筋がピンと伸びてしまうかもしれない。ロシアにいる戦争反対の人々の気持ちまで変えてしまいかねません。
木村:やはり、仲介国が入らないことには収まらないと思います。
伊勢崎:おっしゃるとおりです。1956年の第2次中東戦争(スエズ戦争)では、常任理事国のイギリスとフランスが戦争当事者でしたから、安保理が機能不全に陥りました。この時はカナダのピアソン外相の働きかけで国連総会が開かれ、停戦が決議されました。国連は国連緊急軍を現地に派遣して停戦監視を行い、停戦が成立したのです。これが今日の国連PKO活動の発端になりました。
東郷:日本は複雑なロシア体験を持っています。江戸時代からロシアとの間で国境線を巡りせめぎ合った。明治時代には日露戦争に勝利しますが、第2次世界大戦の終了間際にソ連が中立条約を破り攻め込んできたため、戦後、必死の領土交渉をしてきました。プーチン氏もその相手でした。対立と和解をくり返してきた日本は、ロシアに対する知見を生かして、停戦のイニシアチブを取ることができるのではないか。