東郷:非常に啓発されるお話です。私が最大のチャンスだと思ったのは、昨年3月29日にトルコのイスタンブールで行われた停戦交渉です。この時のウクライナ側の提案は画期的でした。ウクライナは中立国であることを宣言し、いかなるブロックとも同盟を結ばない。ロシアが実効支配するクリミアの主権問題については15年かけて交渉し、ドンバスもそれに倣った処理が見通せました。ロシア側も建設的に評価し、停戦に最も接近しました。ところが、キーウ近郊のブチャで多くの民間人が虐殺された疑惑が浮上し、ウクライナ側が事実上、停戦協議を打ち切る強硬策に転じました。
伊勢崎:停戦が遅れれば、ブチャのような事態はもっと起きる。事件がどんな指揮命令系統の中で起きたのか、その検証は非常に難しく時間がかかります。ですから、証拠を保全するためにも停戦しなければならないのです。
木村:この戦争がなぜ起きたのか、改めて検証する必要があります。ロシアがいきなりウクライナに軍事侵攻したかのように思われていますが、それは実態と異なります。プーチン氏が最も恐れていたのは、NATOの東方拡大です。08年のNATO首脳会議で当時のブッシュ米大統領の強い後押しでウクライナとグルジア(現・ジョージア)を原則加盟させようとしたことが、レッドラインになった可能性が高い。
東郷:13年秋から14年にかけて起きたユーロマイダン革命で親ロ派のヤヌコビッチ政権が崩壊します。ウクライナ憲法上、正当に選ばれた政権でした。ロシアは対抗措置として、ロシア系住民が多く住むクリミアを併合します。ヤヌコビッチ氏の追放に当時、副大統領だったバイデン氏が関与していたことは見落とせません。自由と民主主義を実現するためには、他国への武力介入も辞さない。米国は絶対善であるというネオコン思想の発露と言えるでしょう。
木村:そのとおりです。ドンバス2州(ドネツク州、ルハンスク州)のロシア系住民もウクライナ軍に攻撃され、多数の死者が出ました。この紛争を解決するため、15年に調印された和平合意(ミンスクII)では、ドンバスに特別な地位を与え、ロシア系住民の権利を守ることを約束しました。ところが、19年に大統領に就任したゼレンスキー氏がミンスクIIの履行を拒否します。ロシアはロシア系住民を保護することを大義として、集団的自衛権を行使したのです。