お客さんに喜んでもらうために頑張ったSWSだが、当時は「金でレスラーを引っ張った」と批判もされた。でもSWSができたから、全日本プロレスと新日本プロレスが揃って、選手のファイトマネーをアップして、引き留め金まで払ったんだ。外国人レスラーならまだしも、ほかの団体の日本人レスラーの待遇までアップしたんだから、これこそ天龍がやった“革命”だよ(笑)。
ただ、知っての通りSWSは約2年で解散となってしまった。1990年の横浜アリーナの旗揚げ戦には、新日本プロレスをはじめ、その当時のプロレス団体の全部が偵察に着ていたんだ。でも、その旗揚げ戦で俺が若いジョージ高野に負けたのを見て、新日本の営業は「これからエースでやっていく天龍が旗揚げ戦で負けたんだったら、この団体はすぐにつぶれる」って喜んだんだって。見事に2年でつぶれたよ……。
新日本の営業にそこまで言わせたんだから、ある意味、ジョージ高野も大したもんだな(笑)。いつかクレイジーキャッツの関係者に聞いたことがあるんだけど「グループで人気があるのは一人でいい。その一人をメンバーみんなで盛り上げれば、お客さんはそいつを見に来てくれる。人気者は二人も三人もいらないんだよ」って。今になるとよく分かるよ。
相撲の話になるが、団体のトップになるということの大変さは身に染みて分かった俺としては、今の二所ノ関部屋の親方になって、後進を育成している稀勢の里(現二所ノ関寛)は立派だと思うんだ。二所ノ関部屋は立派な部屋になったけど、それは稀勢の里の性格だからコツコツお金を貯めていたことと、さらにいいスポンサーもいたんだろう。それは彼の人徳だし、そうした後援者たちが集まって、かつて俺がいた二所ノ関部屋を再建できたのは嬉しいね。
二所ノ関部屋が無くなる直前に娘と二人で部屋の前まで行って「ここがああで、そこがこうで」と教えながら記念写真を撮って帰ってきたことを思い出すよ。自分がいた部屋だから消滅するよりも、やっぱり延々と続いてくれた方が安心だ。