哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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ある媒体の取材を受けた。インタビュアーは若い女性で、質問は「防衛費増額と敵基地攻撃能力の保持が昨年末に閣議決定されました。『歴史的大転換』と報じられるわりに、拍子抜けするほどあっさりと閣議決定されました。これはどうしてですか?」というものだった。
私は「別に『歴史的大転換』ではないと国民は思っているから」と答えた。
日本は自前の安全保障政策を持っていない。時々の政府がアメリカに命じられた軍事的要求を「丸呑(の)み」したり「一部呑み」したりしているだけである。日本政府に抵抗力がある時は米国の要求を押し戻すことができるが、与党の政権基盤が弱いとき(今がそうだ)には丸呑みするしかない。弱い政権にとって何より頼りになるのは、極右のコアな支持勢力と米国の「承認」である。だから、その二つの支持層からの要求を最優先に配慮する。
そういう切ない事情による国防戦略の「大転換」なのである。現に起きているのは内閣支持率の低下というアナログな変化に過ぎないのだけれど、それが防衛費倍増や敵基地攻撃能力というデジタルな戦略変化に変換されているのである。「日本の国防戦略を米国が決定している」というスキームそのものには変化がないので、国民はぼんやり政策の転換を受け入れているのだ、と。
そう説明したがインタビュアーは片づかない顔をしていたので、もう一つ理由を挙げた。
日本国民が国防についてこれほど無関心なのは、「日本政府が日本の国防戦略を決定する」よりも「米国政府が日本の国防戦略を決定する」方がより合理的な選択をするのではないかと多くの日本国民が考えている(というより思考停止している)からである。
もうだいぶ前から日本の為政者は「国益を最大化する」という目標を放棄して、「政権を維持し、支配層の自己利益を最大化すること」に政治目標を縮減してしまった。国民もそれは気づいている。だから、「属国の代官」より「宗主国の大統領」の方が世界情勢については巨視的に判断できるだろうと推論して、ぼんやりしているのである。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2023年3月6日号