そうして迎えたセンター試験当日は、緊張のあまり前夜一睡もできなかったため、1科目目のテスト中から強烈な眠気に襲われるまさかの事態に。だが3年間の頑張りを無駄にしたくないという意地と気力でなんとか試験を終え、無事2次試験に進むことができた。

「センター試験利用で出願していた神戸大が不合格になり、2次試験受験時は岡大が頼みの綱という状態でした。プレッシャーが大きかった分、合格を知った瞬間は、受験勉強が終わるのがうれしくて涙が出ました」

 入学後は岡山県の夏祭りで行われる「うらじゃ踊り」に参加するサークルに所属するなど、学生生活を満喫した。だが一方で、岡山大学に合格すること以上に真剣になれる目標にはなかなか出合えなかった。

 ターニングポイントとなったのは2年生のとき、母親の勧めで応募した倉敷市の観光親善大使「倉敷小町」に選ばれたことだ。それまで人前で話すのは得意ではないと思っていたが、倉敷小町の活動を通じ、言葉で人に思いを伝える仕事に興味を持った山崎さん。いつしか「大学卒業後はアナウンサーになる」ことが目標になった。真っ先に相談したのは、大学の「キャリア支援センター」だった。

「センターの先生には、エントリーシートの書き方から面接対策まで、本当にお世話になりました。当初の志望は地元の放送局。でも先に東京のキー局の採用試験があると知り、せっかくだから社会勉強もかねてフジテレビを受けてみよう、ということになったんです」

 岡山大学からキー局アナウンサーへの就職は前例がなく、準備は手探り状態。一度の面接練習の後、すぐに本番を迎えた。

「当時の私にとって東京はほぼ外国。受かるなんて思っていないから、気負いもない。センター試験のときとは違い、前日もぐっすり眠れました(笑)」

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