この一件を平成末から流行する「アテンションエコノミー」の帰結だと見るのは、評論家の與那覇潤さんだ。アテンションエコノミーとは主に動画の配信者が、情報の質を問わず、単に人々の関心や注目を量的に集めることで経済的な利益を得ようとする風潮を指す概念だ。

「注目されさえすれば、映される行為に意味はなくてもいいとする傾向を不快に感じてきたサイレントマジョリティー(物言わぬ多数派)が、ずっと内心募らせていた怒りを、スケープゴートとして今回の彼に向けたのではないか」

 與那覇さんはこう続ける。

「少年がスシローに恨みを抱いていたわけでも、動画で多額の報酬を得たわけでもない、まったく積極的な意味のない悪事です。しかしその“意味なく”被害を加えられる体験こそが、人の心を一番傷つける」

 たとえれば、怨恨(えんこん)による殺人よりも通り魔殺人のほうに、多くの人が気味の悪さ、納得のいかなさを覚えるのと同じことだ。

 さらに、コロナ禍で“意味に対するケア”がないがしろにされてきた状況も、人々の理不尽感を増幅したという。

 與那覇さんによると、私たちがコロナ前に意味を見いだしてきた日常の生活が「不要不急」のレッテルで否定され、自粛やマスクなどで強いられてきた我慢の「意味」も、感染の爆発でわからなくなった。注目さえ集めていれば「無内容な動画や投稿」でももてはやされ、収益化できるインフルエンサーやYouTuberの乱立が掻き立てた「何かがおかしい」という大衆的な不快感が、コロナ禍のストレスでマグマと化し、「意味のない悪事で目立とうとした」少年をたたく形で噴き出したというのだ。與那覇さんは言う。

「注目を集める立場にいる人は、他人と共有可能な“意味のあること”で勝負してほしい。どうせアテンションがすべて、という配信の姿勢では露悪的になる一方です」

(編集部・高橋有紀)

AERA 2023年3月6日号より抜粋

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