18年8月に圭さんがアメリカ留学した直後の記述で、それ以後も話し合いがもたれたという記述はない。きっと今も、そのような関係なのだろう。秋篠宮さまの心労はいかばかりかと思うと同時に、「父と娘とはそんなもの」という感想もわいてくる。
多くの娘は成長するにつれ、異性である父親と距離を取るようになる。自分もそうだったし、それを世間は「親離れ」と呼ぶ。「未来の夫」が現れれば、父よりその男性を優先する。こちらもよくある話だろう。
眞子さんの結婚は、こじれにこじれた。結果、眞子さんが選んだのは、「儀式なし、一時金辞退」という「皇室としては類例を見ない結婚」だった。こうして退路を絶ち異国に赴いた2人なのに、メディアもSNSもまだ好奇の目で追いかけている。そういう状況で「自分たちのことを話さないで」と父親に伝えることは、ごく自然な成り行きだと思う。そして秋篠宮さまがその意志を尊重したのは、娘への愛があるから。そう私は受け取った。
ちなみにこの会見で秋篠宮さまは、佳子さまの公務に助言をしているかという質問も受けている。「何か聞かれればそのときに私の意見を言うことがあります。恐らくそれぐらいだと思います」が答えだった。自分でない人に関わることは、ごく抑制的に語る。それが秋篠宮さまの流儀なのだと理解した。が、これも「娘との距離」と解釈される。それが秋篠宮家、と繰り返しになる。
もう一つ、この会見で私は、「秋篠宮さまは良い上司だな」と感じた。長く組織で働いてきた者として、私は皇室を女性皇族にとっての職場ととらえ、あれこれ考えている。「公務=仕事」だから、「皇室=職場」。だが、先述したように女性皇族は「結婚したら身分を離れる」ことが定められていて、それ以外の定めはない。結婚退職だけが決められている職場に帰属意識を持てと言われても、それは難しいだろう。眞子さんがひたすら結婚を望んだ根底には、そのことがあると思っている。そういう問題をはらみつつ、昨今の佳子さんは公務に邁進している。聞かれた時だけ助言をくれる、つまり部下を信頼してくれる、良い上司がいるからだと思う。
最後に、陛下と愛子さまの話に戻る。眞子さんと秋篠宮さまの関係を「親離れ」ととらえれば、陛下と愛子さまにもいずれそういう日は来るだろう。そう思う一方で、陛下と愛子さまの関係は変わらないのではないか、そんなふうにも感じている。