2023年2月19日に、40歳になる中島美嘉。2001年にシングル「STARS」でデビューし、「雪の華」「GLAMAROUS SKY」などのヒット曲を生み出してきた彼女は、30代をどのように過ごし、どんな心境で40代を迎えるのか。彼女自身の言葉で語ってもらった。
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■20代後半から耳の不調に悩まされていた
「30代は……大変でしたね。特に前半の数年間はきついなと感じることが多かった気がします」。
30代を振り返り、こう答えた中島美嘉。大変だった最大の理由は、20代後半から悩まされていた耳の不調だ。自分の声が大きく響いたり、耳が詰まった感覚になる耳管開放症という症状で、言うまでもなく、ボーカリストには大きな影響がある。
「ライブが怖かったし、“今日も上手く歌えないだろうな”と不安を抱えたままステージに立つこともあって。大変だったという記憶しかないし、そのぶん、“よくやった”とほめてあげたい気持ちもあります」
そんな状況でもステージに立ち続けたのは、“歌を通して、聴いてくれる人の気持ちを代弁したい”という思い。そのスタンスが強く反映されているのが、30代以降、精力的に取り組んできた“プレミアムライブ”だ。生楽器のアコースティック編成でレアな楽曲の披露するこのライブのテーマは“大人が思いきり泣いていい場所”だという。
「普段は出さないようにしている感情を解放してもらえたらなって。プレミアムライブを通して、言葉の伝え方が少しずつわかってきて、歌い方も広がった。いろいろなスタイルでライブをやっていますが、芯になっているのはプレミアムライブかもしれないですね。歌手というよりも、メッセージを伝えたり、みなさんが抱えている気持ちを代弁するのが私の役割だと思ってるんですよ」
ライブを通して浸透した楽曲の一つが、「僕が死のうと思ったのは」(2013年)。Amazarashiの秋田ひろむの作詞・作曲によるこの曲は、生きることに真剣に向き合う“僕”を主人公にした楽曲。曲名のインパクト、シリアスな死生観をテーマにした歌詞など、リリース当初は賛否両論を呼んだが、その真摯なメッセージ性が徐々に理解され、今では彼女の代表曲になっている。